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2020 年当時のもやもやと答え合わせ
最近 Evernote 使ってなかったねえ。
で、上を読んでEvernote を久々に開いたら出てきた文章。○○のところは前職名が入る。
開発時代から「尊敬すべき後輩」だった一人が辞めるというので「自分はいつ○○をやめるのか」について書いてみたいと思います。「果たして自分はいつまで○○に勤めるものだろうか」という問題です。
今年でなんと15年目、私自身は37歳を迎えたという、考えれば全人生の約4割(15/37)を○○で過ごしてきたことになります。自分の人生の中で例えば60歳を迎えたときに果たして○○に居るのだろうか?
そう考えるとまあそれは明確に、絶対に居ないだろうな、あるいは居たら、自分の人生はなにか負けている、損している、それが入社当初からの思いでした。
逆に60歳まで勤めるつもりで○○に入社する人はどれだけいるでしょうか。そう考えるとそうそうそんな方はいないんじゃないかなとも。
なんで○○に就職したか。というと、もともと私は文系で、でも中身としては政治学や社会学、法学をかじった程度のよくいる割とカラッポな学生で、そのわりに将来は何かものを書いたり作ったりしたい、という気持ちで就職活動をしていました。
一時は新聞記事を書きたかったり、雑誌の記事を書きたかったりもしましたが、まあ中身や大得意な分野もなければそれができるわけはないなと気づいたのが就職活動時。よくいる学生と同じように、まあなんとなく野蛮で野心的でカッコいいことを言っている○○は私の目には魅力的で、一時ここで何某かを覗いて暇をつぶしたら早く自分の力で物を書いたり作ったりようになりたいなと、そう思い開発に入り、いつの間にかここでの毎日が日常になりました。もちろんインターンの1日1万円は2002年当時もとても大学生にとって魅力的でした。
ならば何故○○に居るのか? 「ナゼナゼ」を改めて繰り返すに○○というのは私にとって「優秀な人たちが勝手に集まってくるハエ取り紙のようなインフラ」だから、だと今も思います。
でも、いつか、○○で経験した、これからするすべてを少しずつ、自分の代えがたい糧として1個人として社会貢献をできるようになりたい。それには一度○○を客観的に見ないといけないんじゃないか?
漠然としすぎておりまだまだノープランですが今私の身の回りにいる通翻訳という専門家の方々は、ものすごく色々なことをチャレンジングにこなしていて、シンプルに尊敬しています。
自分もそれに追いつきたいという気持ちで最近そんなことを考えています。
明確に時期をコミットする勇気すらない割に2020年を勝手に節目と考えていますが、2020年どころかその先もまだまだ居座っていたらこの時のこの文書を思い出して大笑いしたいと思います。
「優秀な人たちが勝手に集まってくるハエ取り紙のようなインフラ」、それよそれ。前職の魅力ってそれだったし現職もそれを上回るそれそのものよ。ハエという表現は失礼極まりないがなんというか、IT エンジニアに対して、ブルーハーツの言う「ドブネズミ」みたいな美しさを表現してそんな感じだと思ってもらいたいところ。いずれにしても、私にとって会社に所属するメリットって、すっげえ人たちそのものなんだわな。
結果 2020 年よりは遅れちゃったけど私は転職に至る。専門家になれているかはまだまだこれからだが青い空と雲の中はだいぶ楽しいね。
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