見出し画像

エゴを観察した私の不安について

 昨日は1日エゴを観察してみました。するとエゴが見えてきたのですが、気づいた経緯と心に溜まっている不安も書き残していこうと思います。また、最後にエゴや不安から見える私が無意識レベルでしていることをまとめとして書いて行きます。

1.周りに迷惑をかけたくないエゴ

【エゴ】私の行動で、周りに迷惑をかけたり傷つけたくない。

【経緯】通っているジムを退会しようとしているのですが、普段はトレーナさんを指名しています。そのため、私が退会すると伝えたら、トレーナさんは自分のせいかも?と思うかもしれないなと予想しています。

 トレーナさんが自分のせいと傷つく理由は他にも心当たりがあります。前回のトレーニングの際に雑談の中で「最近、他のジムにも行き始めた」という話をしたのです。私はその話をしたのは、ストレッチにハマっていて、ストレッチに特化しているところに行ってみると、気づきが多かったという、私の中でのワクワクをトレーナさんに伝えたのです。肩周りが凝っていて、その凝りが下半身にも影響を及ぼしている可能性を話したのです。

 しかしこの話は比較に繋がるような雑談であったと思います。私が他のストレッチ店に行ってみたのは気まぐれで、そんなに深い意味はありません。しかし相手からしてみれば自分に満足しなかったのかな?と捉えることに繋がることであったなと反省しています。

 「最近、他のジムにも行き始めた」という話は、普通ならしないでしょう。話す前に相手がもしかしたら比較して傷つくかもまで予想できるためです。浅はかだったなと思います。

 ただ、私はカラダを整えることを楽しんでいるのは事実です。そのため、他のジムにも行ってみたと話すのではなく、肩周りの凝りが下半身にも影響を及ぼしていることに気づいたことを話すべきでした。

 なお退会理由は今のジムよりも新しく見つけたジムの方が値段も安くサービスも良く立地的に通いやすかったためです。

【心に溜まった不安】

 周りに迷惑をかけたり傷つけたくないことエゴへの解決策は、値段も安くサービスも良く立地的に通いやすかったジムを見つけたということを退会理由として伝えることかなと思えます。するとトレーナのスキルには関与しないので、トレーナは傷つかない可能性が高いと思われて気持ち的にも踏ん切りがつきます。

 少し切り口が変わりますが、周りに迷惑をかけたり傷つけたくないというエゴは、周りから自分がよく思われたいというエゴなのでしょうか?これは少し違うと捉えています。

 かつての話をすると、私はこれまで2回転職をしています。転職した時は相手からすれば急に転職の話をされた形となりました。相手からすれば昨日までは普通に会社へ来ていたのに、急に出ていくという話をされて驚きます。一般的にはどうしているかは分かりませんが、私の場合は転職するということを周りに話しても、周りを勘繰らせるだけだと思っていました。仮に転職するという話をしていて、いつまでも転職しなければ、この人はいつ出ていくんだろうという形になりますし、人によっては出ていく人に対して親切にしたくないと思える人もいるでしょう。転職はこれまで行っていた業務を周りの誰かに引き継いだりするので、ある意味迷惑がかかります。人によっては、これまで会えていたのになかなか会えなくなることに傷ついたりするでしょう。すると、急にショックから態度を変える人がいます。態度を変える人は不安な人です。囚われや執着がある人です。不安な人は極端に避けたり、攻撃したり、恩着せがましくなったり、詮索してきたりと無頓着でいるという選択をしません。関わる人のエネルギーを搾取します。厄介だなぁと感じさせる形となります。そのため私は自分の中の未決定な考えはあまり周りに伝えないで来ました。話したことにより、不安な人がよりブレたりする方が大変だったのです。

 周りに迷惑をかけたり傷つけたくないというエゴは、周りから自分がよく思われたいというエゴなのかというと違います。「厄介ごとを避けている」という形なのだと思います。「周りから自分がよく思われたい」よりも「厄介ごとを避けたい」という欲望の方が強いわけなのです。「周りに迷惑をかけたくないエゴ」は「物事をスムーズに進めたいという期待」で、私は物事をスムーズに進められないことが不安なのです。

2.勝手に決めつけないでほしいエゴ

【エゴ】これまでのことを踏まえて、勝手に決めつけないでほしい。

【経緯】私はマッサージ屋さんに通っているのですが、そこで「パソコンの見過ぎの肩こりですね」と言われ、「ちょっと違うのにな」と思ってその旨を伝えるということがありました。

 なぜなら運動のしすぎてちょっと筋肉痛になってマッサージ屋さんに行くときもありますし、気持ちが晴れないからマッサージ屋さんに行くこともあるのです。その日はちょっと筋肉の使いすぎを感じて「ほぐして欲しい」と思って行きました。すると雑談の中で「いつものお仕事の中での疲れですね」という形になったのです。同じようなことはジムでもありました。最初に聞いた内容で「この人はこういう人」と決めつけてトレーニングを進めるのです。しかし美容室では異なります。毎回どんな髪にしたいですか?とヒアリングされます。その度に私は「こんな髪型になりたい」と写真などを見せて話しています。

 マッサージ屋さんでは「仕事をフルタイムでしている人」として私の人となりが伝わっています。ジムでは「自由に時間を過ごせるフリーランスな人」と捉えられています。美容室では「仕事をフルタイムでしている人」と捉えられています。私の姿は「自由に時間を過ごせるフリーランスな人」です。かつては会社に所属してフルタイムで仕事をしていましたが、今では自由に生活できるようになりました。

 場所によって認識が異なるのは私の受けこたえです。雑談の中でアレコレ話をするのですが、流れの中で「忙しく仕事をしている人」とうつったり「自由な人」をうつっているのです。別にどちらでも良いかと訂正せずに来ると環境によって認識が異なる結果になっています。

 これはお店の方針や個人差もあるかもしれませんが、マッサージ屋さんとジムは勝手にこちらの状態を決めつけます。対して美容室では毎回こちらの状態を勝手な解釈なく受け入れるということがあったのです。

心に溜まった不安

 勝手に決めつけないでほしいエゴの解決策は2つ思いつきます。一つ目は、人によって勝手に解釈する人としない人がいるのは個性だと受け入れることにすることです。お店によってサービスが異なるのはあたり前かなと思えました。解決策2つ目は、今後はこちらに思うことがあれば「言わないの」ではなく、こちらの期待も伝えることです。

 話は変わりますが。私は「勝手に決めつけないでほしい」と思うエゴはこれまでもありました。たとえば会社員の時も条件だけを伝えたはずなのに、自分の知っている知識と入り混ぜて勝手に解釈する人がいました。私は理系の研究職に携わっていたことがあり、その際にプログラムをする際に要件や仕様を定義したことがありました。人に要件や仕様を渡したところ「勝手に解釈する人」が出てくるのです。それはこちらの要件の定義の仕方や仕様にモレやダブりがあるのではないかと問われるとそれは違います。条件だけを見れば、ひとつの解に行き着くようにルールを決めてあったのです。しかし自分の都合の良いように捉えて、勝手にコーディングする人がいました。この時も「勝手に決めつけないでほしい」と思ってきました。これはテクニックにすぎません。小学5年生か高校3年生の違いは私はテクニックの違いだと思います。できることが多いか少ないかしか変わらないのです。これを今回のように個性だと捉えることはできます。しかし仕事ではできないでは困ります。できないと捉えてその人に担当を避けるというのも手ですが、それでは極端です。私は仕事で勝手に解釈する人が出てくるたびに、事実を事実として認識すること、論理的思考のやり方をといてきました。テクニックは練習すれば誰でもできます。小学生が最初は足し算や引き算を間違えたりすることがありますが、慌てることなく、ひとつひとつステップを踏めば正解できるのと同じです。

 今回は仕事ではなくプライベートで「勝手に決めつけないでほしい」と思う事例でした。「勝手に決めつけないでほしい」は、こちらに期待があるのに、それがスルーされているという形でした。マッサージ屋さんでは確かに肩こりを解消したいという期待があることも多々ありますが、なんかダルいから気持ちを晴れやかにしたいという期待があることもありますし、筋肉痛になりかけているから少しほぐしたいという期待があることもあるのです。「勝手に決めつけないでほしい」は「相手が要望にそったことする期待」で、私は相手が要望とは外れたことをすること不安なのです。

3.まとめ

 私が無意識レベルでしていることは「理想」を持つことです。私の中にこうなるといいなと思う期待があるのです。

 たとえば私は物事をスムーズに進められることが良いと思っています。そうでない状態では不安になります。しかしその不安に想うその状態を状態の一つとして認識すれば、別に不安なことではないのです。私の捉え方の問題なのです。

 相手が要望どおりになることも同様です。私は何か理想を持って相手とコミュニケーションを取っています。それは肩こりを解決するとかのレベルですが、肩こりがない方がいいと思っているのです。きっとこれは規模が変わっても同じでしょう。私が癌になったら、癌がないほうが良いと思います。おそらくお医者さんに今の治療をもって完治させてほしいと思いでしょう。完治できないのは、こちらの伝えかたの問題だと捉えるかもしれません。しかしそうではないのです。理想をなくして今の状態でもOKだと思えることこそが、根本的な不安をなくす解決策なのではないでしょうか。

 それでも瞬間瞬間で理想は湧いてきます。その理想を認識して、どのような方向に「意味づけ」をしているか把握し、「意味づけ」していることは不安から偏っているだけで「ある状態の一つ」と捉えることで、安心して成長しようと挑戦できるのではないでしょうか。不安を抱えていた自分から安心して目の前のことに精を出せるのではないでしょうか。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?