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編集人の京都の朝をぶらぶら◉眼下に一望できる広場のような空間の理由は? 八坂神社・西楼門をぶらぶら。

京都在住の編集人のモリタです。最近は少し観光客で賑わい過ぎの京都ですが、早起きして、じっくり街を歩くと意外な京都が見えてきます。

今回は賑わい過ぎの渦中の祇園・八坂神社から「昔から」という言葉を疑いたくなる朝をぶらぶら。

まじまじとチェックしてみたのは四条通正面に建つ八坂神社・西楼門。実はこの西楼門、"昔から"現在の場所にあったわけではないらしいのです。それがわかるのが西楼門の前にある標石や境内に残る旧参道。大正2年(1913)に移築されるまでは、石段、参道とともに、現在地より数メートル南西にあったことがわかりました。

西楼門から左に曲がって本殿に向かう参道は、本来はまっすぐ西に向かっていました。その先に移築前の西楼門があったというわけです。

ではなぜ、西楼門は移築されたのか?
背景にあるのは、明治27年(1884)〜の四条通北側拡幅工事と、明治45年(1912)〜の四条通南側拡幅・市電敷設工事。西楼門が四条通の総整備の仕上げとして移築されたことで、今私たちが祇園石段下から見る広場のような風景は、このとき形づくられたのです。

この時代の四条通は、京都の近代化の一つ「市電」が走る大通りで、和風近代建築が居並んでいたと言います。祇園は伝統を守り続ける街ではなく、変化を受け入れながら今ここにあるのです。

歴史は一本の線で繋がってはいない。当たり前と思って見ている風景も、何回かの大きな変化が重なって、その姿になっているのですね。

祇園石段下のこの風景は、改革の末に誕生した近代京都の広場空間だったのです。
明治150年にあたる2018年、私が編集していた「リトルノ」の春号で『京都おとなの明治さんぽ』を特集。京都高低差崖会会長の梅林秀行 さんの案内で祇園を詳しく紹介しています。


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