【メンタル不調】⑦:コールセンター復帰〜寛解に向けて動き始めた頃

前回は、同棲開始〜同棲解消まで書かせていただきました。
今回は、同棲解消後実家に帰還、社会復帰をして、寛解に向けて動きはじめた頃について書きたいと思います。

半年間、実家に居た期間はどのように過ごしていたかあまり記憶にありません。
その後はまた、元居たコールセンターに戻りました。
地獄のコールセンターに舞い戻った理由は、元同僚と仲が良かったからです。

私は幼少の頃から、人付き合いがあまり得意ではありませんでした。
友達が居なかったわけではなく、友達は都度できるけど、自分の気持ち的に、うまく付き合えないのです。
もっと深掘りすると、うまく付き合えないとも違い、気を遣い過ぎて心地が悪いということなのかもしれません。
そして、大人数のところに入れられると、萎縮して全く話せなくなります。このせいで幼少期からトラウマがちょこちょこあるんですよね。

新しい環境に不安を抱く方は多いと思います。
それを皆、いろんな気持ちや覚悟で乗り越えていっていると思うのですが、私は自分を守ってしまっておりました。
とにかく仕事と引きこもるのは嫌で、仕事をしたい、それなら馴染みのある環境に戻ろうという流れでした。
あんなに地獄だったコールセンターに戻ることは今考えても、なぜ?って思いますし、相変わらず地獄でしたが、新たに良い出会いに恵まれて楽しい時間も過ごせたし、「通るべき道」だったと思うので後悔はしておりません。

当時、既に28歳になっておりました。
また新しい同期ができ、しかも同世代の子達も居て、職場も仕事終わりの食事も、帰宅してからの電話もずっと同期の方々と過ごしていました。
今思うと極端だし、どんだけ寂しがり屋なんだ?って感じですね。でも楽しかったです。

その頃、同期に言われて断薬しました。
医者の許可なく断薬するのは絶対やめた方がいいと思うのですが、その頃の私は、自分を持ってなくて流されやすい性格だったので従ってしまいました。
自分にとっては結果的に良かった(真似されないでください)です。
この頃からメンタルのお薬は一切飲んでおりません。

仕事は相変わらず辛かったのでメンタル不調になることは多く、休むことも多くなっていきました。
その間に同期は上司に気に入られ、出世というか自分の上の立場になっていきました。
立場も違えば話すことも違ってきます。
みんな頑張って手に入れたポジションだし、私はただただ逃げていただけなのに、自分を責めて追い詰める日々でした。不毛です。
いろいろ歪んでいて、正当に真っ直ぐに物事を見ることができておりませんでした。

そしてメンタルの限界が来て、7ヶ月勤めた後、また実家に帰ることになりました。
ちなみにこの間に私はメンタル不調だけではなく、よく風邪を引いておりました。
マイコプラズマ+百日咳+難聴になる、という体的にもはちゃめちゃな時期でもありました。

結局そこから1年半実家で過ごす事になります。
でもこの時期が寛解に向けての大きな転換期となりました。

働かないのはこわい、でも社会に出るのもこわい、人もこわいという状況だったのですが、なんとなく一旦きちんと休んでみようと思ったんです。
その方が先の長い人生のためには良いのでは?と思ったんですよね。

またまた長くなってしまいました。
思い出しつつ書いていると、恥ずかしいな〜と思うことがたくさんあるのですが、いろいろ遠回りしたことが、今の自分には必要な回り道だった気はします。
人生に無駄なことはない…そんな感覚です。

今回は、寛解に向けて動き出した頃について書きました。
次回は、寛解してからの事を書きたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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