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中原中也と先輩

わたしは大学入学と同時に、旅や登山に関係するクラブに入りました。
入部して間もなく大学1年生のときですが、あるとき1年上の先輩がひとりごとのように声を出しました。
それは次のような文句でした。

「蜜柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり。
 ああ、そのような時もありき。
 寒い寒い日なりき。」

わたしは、何を言っているのか分からずにポカーンと先輩を見ていました。

「ナカムラ、分かるよな」
「・・・・・・」
「中原中也だろ。知らないのか。」

当時のわたしは中原中也という名前は知っていたかもしれませんが、詩を読んだことはありませんでした。
先輩の感じでは、そのくらい知っていて当り前のような雰囲気がありました。
けっして馬鹿にされたという覚えはありませんでしたが、
「読んどけよ」
みたいなことはあったかもしれません。
先輩は、わたしと同じような下町生まれの下町育ちで、いつも声をかけてくれていて親しくしていました。
わたしは中原中也の詩集を繙いて、先輩の言葉が中也の「冬の長門峡」の一節であることを初めて知りました。

社会人になってからは、詩を読むことはほとんどありませんでした。
ところが3年くらい前から、多少詩を読むようになりました。
しかし中原中也の詩は、なぜか読み返していませんでした。
最近になって、中原中也の詩を読み始めましたが、言葉が素直に入り込んでくるような思いがします。
50年以上前に読んだ下地が多少残っているのかもしれません。
違和感なく体に沁みとおるようです。

ちなみにその先輩は成績が良くなく就職に悩んでいましたが、卒業後に日本有数の企業の役員、行政府の審議委員など要職を歴任しました。
わたしは大学卒業後にあまり会う機会もなかったのですが、10年ほど前に顔を合わせてお話しする機会がありました。
いわゆるお偉いさんのような雰囲気はなく、わたしにとっては気さくな魅力ある大学生のときと変わらぬ一先輩です。

もし今、会ったとしたら、
「先輩、中原中也を愛読していますか」
と聞いてみたい気がします。



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