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お酒を飲まないのは「憧れる環境ではなかった」のかも

何かを始めるのは、それに対して憧れのようなものがある気がする。

顕著なのはタバコだろうか。
あれは大人への憧れみたいな、何かかっこよさのようなものを感じる。単に周りが吸っていて流れで始めるのもあるだろうけど。
彼氏が吸っていたからタバコを始めたというのも、憧れのようなものなのかもしれない。

私はタバコを吸っていないが、それに魅力を感じるのもわかる気がする。
健康被害と金銭で始める気はさらさらないけど。

コーヒー何かもそうだろう。
大人な飲み物と称され、幼少者を拒絶させるが、あれも憧れみたなものから飲み始めた気がした。私はコーヒーを毎日飲んでいる。

そんな私はお酒を飲めない。極度にアルコールに弱いのだ。
その上、飲みたいとも思わなくなった。

思うのは、なぜ皆はお酒を飲んでいるのだろうかということだ。
逆になんで私はお酒を飲みたいと思わないのだろうかということ。

ここまでの論調から始まりは憧れなのだろう。
お酒も同様に大人の飲み物と称されて、大人の象徴の如く、幼少者に教えてくる。
またカッコいいバーか何かの優雅にお酒を飲む映像を見させられれば、プロパガンダみたいに影響を受け、お酒を背伸びして飲むのだろう。
それ自体は何も思わないが、私はそれを経ていない。
映画やドラマを見ることが少なく、酔いつぶれた人間の変容模様の印象のほうが大きい。
多分、憧れを抱くことがないのは今も昔も変わらない。

憧れはその人の価値観である。
幼少期の価値観は親の影響を強く受ける。その後、大人になっても親の価値観を引きずることが多いし、それを抜け出して自立となるのだろう。

「人間はどんなときでも理性で自分自身を律すること」
これが自分の価値観なのかもしれないし、そんな人間に憧れるから、多分それを妨害する事柄は嫌悪するのかもしれない。

憧れることはなんだろうか。
考えることは大切なのかも知れない。