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嫌になるほどの思い出が私の土台だったらとしたら

自分の価値はどう表現されるんだろう。誰が決めるんだろう。
そう考えてしまうのは自分に自信がないからかな。

有名な俳優が自殺で亡くなった時私は泣いた。特別好きというわけでもなかったのにどうしてだろう。SNSにはいろんな言葉があって、“綺麗な顔なのに” “実力派なのに” “まだ若いのに” “経済力もあるのに”違う。全然違う。そんなんじゃなくてさ、もっと違うことがあるじゃん。そう思った。
でも私が泣いてしまった理由は「羨ましい」だと思う。SNSの言葉より最低かもしれない。いや、間違いなく最低だ。こんなに存在価値がある人が自ら命を絶ってしまって多くの人が悲しんで、その理由に疑問を抱く人がいる。命を尊ぶよりもその事実が羨ましかった。

高校の時クラスの可愛い子が転校した。親の転勤だという。人気者というわけでもなかったけど誰が見ても可愛くて話しかければ愛想が良くて影で男の子に人気な子だった。しょうがない。親の都合だもん。でも、いなくなるなんてひどいと思った。理不尽すぎるけど、、。
仲良しの友達もいて、転校するときはみんなで盛大に送り出したっけ。もし私が同じ立場だったらそうしてくれたのかななんて考えてしまった。

姉は可愛らしくて、スタイルが良くて、とにかく世渡り上手だった。ムカつくけど、でもどこか憎めない人だ。親にもたくさん迷惑かけててそんな姉を見てたから私は迷惑かけないようにしっかりしようって思った。高校の時はあんまり家に帰ってこなくてたくさん遊び歩いてた。だから姉が家にいるとき親も他の兄弟も少し嬉しそうだった。あんなに迷惑をかけてるのにそれでも家族は姉が家にいるのが嬉しいんだと正直言えば少し拗ねてた。その時姉の存在価値は高いんだなって思った。そんなに望まれてて羨ましいと思った。そのあと姉は高校を卒業してすぐ家を出た。そして、進学した専門もすぐにやめて遊び呆けてたのに22の時妊娠して実家に帰ってきた。母はその時言った「やっぱりあの子は18までほとんど家にいなかったから結局今は嫌でも家にいないといけない。そういう均衡が取れてるのかもね、はるはどうかな」みたいなことを言ってた。

私は末っ子だから兄弟が18で家を出てって、長期休みや正月に実家に帰ってきてくれるのが嬉しくてしょうがなかった。でも、兄弟は帰ってきても地元の友達と遊んでばかりで全然私と遊んでくれなくてご飯を一緒に食べることも少なくて親も少し寂しい思いをしてた。私だったら親にそんな思いさせないのにとか考えてた気がする。



表現が難しいけど、存在価値がある人ほど自分の価値に気づいてない。だから、すぐいなくなる。周りを蔑ろにする。周りが寂しいことに気づいてない。私だったらそんなことしない。もし私がその俳優だったら、あの子だったら、姉だったら。もっとうまくやる。ちゃんと自分の価値を見出せる。その通りの行動をする。そう思ってたけど、きっと私も私としての存在価値通りの行動を出来ていないと思う。
これまでの出来事で私は学んだ。
だから、存在価値を決めるのは他人や家族とか周りの人だと思う。でも本人はその価値を見出すことは出来ないし知ることもできない。

私はこれからも人を羨み嫉妬し続けると思う。

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