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山口謠司著『30歳からの漢詩エントリー』刊行!


2024年4月26日発売!

dZEROの4月新刊、
山口謠司著
『30歳からの漢詩エントリー――それは「どう生きるか」を考えること』
が発売されました!
書店さんによってはすでに数日前より店頭に並べていいただいております。
今回は「漢詩」をテーマにした書籍です。

著者紹介

まずは、著者の紹介から。

山口謠司(やまぐち・ようじ)
中国学研究者(専門は文献学、書誌学、日本語史)、博士(中国学)、大東文化大学名誉教授、中国山東大学客員教授。1963年、長崎県に生まれる。大東文化大学文学部大学院博士課程後期在学中に東洋文庫研究員を経てケンブリッジ大学東洋学部共同研究員に。同時にフランス国立高等研究院人文科学研究所博士課程後期に在籍。帰国後は大学で教鞭をとるかたわら、イラストレーター、書家としても活動している。
著書に、『妻はパリジェンヌ』(文藝春秋)、第29回和辻哲郎文化賞を受けた『日本語を作った男――上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)、『ん——日本語最後の謎に挑む』(新潮新書)、『唐代通行『尚書』の研究——写本から刊本へ』(勉誠出版)、『文豪の凄い語彙力』(新潮文庫)などがある。

内容紹介

目次

序 章 時空を超えて共振する
音によって感情を共有/音によって感情を共有/
『楚辞』が示す感じ方の違い、生き方の違い/
文明を「編集」した孔子/「よこしまな思いのない詩」とは/
知の『詩』、情の『楚辞』/そして心の奥深くまで届く

第一章 陸游、絶望のなかのユートピア
泡沫のユートピア/驚きの時間感覚/千年前の溜め息/
詩を書いて心を満たす/きっといつかは桃源郷に/
むなしさを埋めるための九千首

第二章 漱石、東洋的理想郷への希求
江戸の終焉とともに/寄席と漢詩と子規と/子規からの最後の手紙/
不連続の連続/死を意識して/「隠逸」という理想/
「則天去私」へと続く道/漱石、最期の詩

第三章 杜甫、生きるためのラブレター
五言絶句の奇跡/杜甫を絶句させた天才/四千年に一度の出会い/
続かなかった「平和な時代」/李白を想い続けて/
政治批判の詩を書いても伝わらず/破壊された長安で/
酒で憂さを晴らす日々/弱い者への視線/漢詩の原点/李白の死、杜甫の死

第四章 蘇東坡、「楽しむ」へのこだわり
左遷と豚肉/文人一家と保守・革新の攻防/「死の覚悟」から始まる/
「寒食帖」の数奇な運命/「所有」を問う/文人の願い/宿敵に詩を贈る/「楽しむ」という言葉は唐代から/時の流れと老い/
憂いを忘れる/笑いの「豊かさ」

第五章 河上肇、共産主義と挫折と
桃源郷への道/共産主義という理想/獄中で漢詩を学ぶ/
ユートピアはどこにある/社会を変革するか、社会から逃げるか/
儒家が目指した理想郷/「碩鼠」と孔子と河上肇/
友人に疎まれ、動けず、気力もなし/「桃花源詩」に見るユートピア/
仙人になるための薬/結界を引くようにして

終 章 古代中国の「心」を探る
音で楽しむ/数学との共通点/書き捨てる文とは違って/
心を共鳴させれば/「漱石」「獺祭魚」からさかのぼる/
音を並べる技「平仄」/意味を深める技「対句」

病に臥していた漱石

目次をご覧いただいくとわかるとおり、中国の漢詩だけでなく日本の文豪・夏目漱石や、経済学者であり活動家の河上肇の漢詩もとりあげています。では早速、ここで漱石の漢詩をひとつご紹介します。

無題

仰臥人如啞
黙然見大空
大空雲不動
終日杳相同

無題

床について、その人は話をすることもできないでいる。
黙ってただ、大空を見ているのだ。
大空で、雲は動かず。
一日中、暗く遥かなところにじっとある。

明治四十五(一九一二)年五月から大正五(一九一六)年の夏までに、漱石は三十九首の漢詩を作っています。
そして、最後の病床についてしまう大正五年八月十四日から意識を失ってしまう十一月二十二日までに、なんと七十五首の漢詩を作ります。百日足らずの間に七十五首を作るほどですから、どれだけ漱石が漢詩を作ることを楽しみとしていたか、あるいは漢詩を作らなければならなかったかがわかるでしょう。(第二章 p.86)

明治四十三(一九一〇)年九月二十九日、修善寺の大患からまもなく、まだ東京に帰ることもできないまま、床についている間に作られました。
(第二章 p.87)

これ以外にもまだまだ漱石の漢詩が本書には載っています。
正岡子規との出会い、別れ。そしてそれが漱石の漢詩に大いに影響を与えたことなどのエピソードも添えて。漱石が洋行の際に受け取った子規からの手紙もたまりません。この想いを漱石は「漢詩」に昇華しています。
そして漱石の漢詩が遥か昔の中国の漢詩人たちに思いを寄せていることも本書からわかります。


陸游「莫 莫 莫」

続いて中国は南宋を代表する詩人、陸游の漢詩をどうぞ。

釵頭鳳(さとうほう)
春如旧
人空痩
涙痕紅浥鮫綃透
桃花落
閑池閣
山盟雖在
錦書難託
莫 莫 莫
     (部分)

釵頭鳳
毎年、変わらずやってくる春。
それにしてもずいぶん痩せてしまったのではないですか。
あのときの悲しい別れ、あなたの涙が薄絹を濡らして、
艶めかしくも肌に透けていったことをいまさらながらに思いだします。
桃の花ももう散ってしまい、
池のなかに建つ東屋にももう人はありません。
あなたとの愛の誓いはこの胸のなかにあるとはいえ、
お手紙を差し上げることもできません。
ああ、どうすればいいのでしょうか。

「莫莫莫」は、日本語にすれば「詮方なし」(どうしようもない)という言葉になろうかと思います。中国語で、これを発音すると「モー、モー、モー」となります。あるいは、日本語で「もう、どうしようもない」というような「もう」と同じような言葉と思ってもいいかもしれません。
言葉にならない言葉が、千年前の陸游の溜息をいまに伝えてくれるようです。(第一章 p.58)

「莫 莫 莫」、中国語では「モー、モー、モー」。
なんてキャッチーな詩でしょう。日本語での意味も「もう、どうしようもない」といった意味で、中国語がわからなくても心にスッと入ってくるような感覚になります。
しかしながら、このキャッチーさとは裏腹に本書に書かれている陸游の「もう、どうしようもない」と思い至るエピソードはとてもとても苦しいものです。

まとめ

上記二つの漢詩と、それを解説する文章を読んでいただけると、ただ技術的に漢詩を学ぶのではなく、漢詩が書かれた背景も一緒に読むことができます(終章には技術的なことも書かれています)。
そして、李白をはじめ、杜甫、陶淵明、周邦彦など他にさまざまな漢詩人の作品ものっています。
内容紹介の最後は山口先生の「はじめに」の言葉で終わりにしたいと思います。

漢詩は、耳を塞ぎ、目を閉じ、外的な世界を遮断して、自分だけの静謐な世界に浸ることができる空間である。
~中略~
子どものときに感じていた無邪気さ、そして毎日を明るく元気に楽しく生きるための原動力を、漢詩が全部用意してくれるとは言わないが、それでも、漢詩の「核」には、古人の知恵と「元気」が封じ込められている。
~中略~
答えは、どこにもない。しかし、答えはどこにでもある。漢詩はそのひとつである。人は何を求めて、何を生きる原動力として漢詩を書いていったのか。本書で、その答えをわずかでも感じていただければ幸いである。
(はじめに p.5~6)

装丁・装画

装丁:ニマユマ(大口典子)さん
装画:izizさん

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