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若者たちのBC級戦犯裁判 さまよう責任と埋もれた無念

はじめに


こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、共同通信社記者である野見山剛さんの『若者たちのBC級戦犯裁判 さまよう責任と埋もれた無念』を紹介させていただきます。

なぜ、若い元日本兵たちは処刑されたのか?

概要


横浜で開かれたBC級戦犯裁判(横浜裁判)。戦争犯罪で、BC級戦犯として裁かれた20~30代の若い元日本兵たちは、なぜ平和が訪れた戦後に散ったのか? 日本側の資料は黒塗りにされていた。米軍が公開する裁判記録から掘り起こされた太平洋戦争の「埋もれた記録」。そこには、責任が現場や個人に押しつけられるという、戦後から現代まで変わらない日本社会のありようが映し出されていた。無名の若者たちが、どのように生きて、何を考え、どうして戦争犯罪人として裁かれたのかが綴られた作品。書下ろし処女作。

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著者紹介


著者の野見山剛さんは、共同通信社記者。1982年福岡県北九州市に生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、共同通信社入社。立川分室、静岡支局、宮崎支局、福岡支社編集部を経て2013年から政治部へ。2019年から横浜支局配属となり、「BC級戦犯裁判」(横浜裁判)の取材を開始しました。

この作品のポイントと名言

名もなき若者たちが散ったのは、平和が訪れた戦後のことだった。(まえがき、p1)

委員長(裁判長)と委員(裁判官)、検事と主任弁護人は原則、米国人が占めた。(序章、p34)

殴打の事実はなく、赤十字の物資はそもそも手元に届かなかったと反論した。(第一章、p76)

レスター・マイヤーの暴行死で、ある捕虜の供述書に四月二十九日とあるが、昭和天皇の誕生日で勤務外だったとして「私は決してマイヤーを殴っていない」と強調した。(第一章、p76)

裁判長が本丸の第五の訴因、すなわち、ベイリーとマイヤーの虐待死に集中して質問するよう促したにもかかわらず、検事は一問も発しなかった。(第一章、p78)

裁判はあっという間に終わりを告げた。一九四七年五月二十三日の初公判から、二十六日、二十七日、二十八日、二十九日の審理を経て、六月二日に判決公判を迎えた。(第一章、p79)

二人の若き日本人弁護士の感想を読むと、敗戦国の悲哀と無力感がにじみ出ている。(第一章、p83)

横浜裁判では百二十三人に死刑判決が言い渡されたが、うち七十二人が減刑され、死刑を免れた。勝者の裁きと言われるが、再審査が一定程度、機能した点は認めるべきだろう。(第一章、p91)

戦後、勝者の米軍は米兵が死亡した原因究明と責任追及に乗り出す。そして、捕虜殺害などの「通例の戦争犯罪」に手を染めたBC級戦犯として刑務所長と次長、三人の看守を裁きにかけた。(第二章、p100)

その後は、脅迫と誘導の繰り返しだったという。大久保は第四号監に行っていないのに行ったと言わされ、米兵が房を破って出てきたのを見たことにされ、検事から「第四号監には日本人の囚人もいたはずだ」と問われた。(第二章、p132)

大久保は取り調べの実態を暴露し、身の潔白を訴えた。勝者の米軍を相手に蟷螂の斧を振るったに過ぎなかったが、それでも真実を訴えようとした若者の叫びだった。(第二章、p135)

「法廷での発言はうそです」中川はトンプソン大佐にそう告白した。(第二章、p140)

渋谷の陸軍刑務所は戦後日本の原点の地であり、そこには所長の田代敏雄らBC級戦犯の物語も眠っていた。(第二章、p149)

横浜裁判では責任の行方をめぐり、五人の被告のうち誰がジョーカーを引くのか、トランプのババ抜きのような状況が出現した。(第三章、p164)

責任を取るべき立場の人が雲隠れや自殺などでいなくなった場合、誰にしわ寄せが行き、悲劇や不幸がどう引き起こされるのか。(第三章、p183)

若き戦犯たちは絞首台にぽつんと立たされ、首にロープをかけられた。彼らの行為は命をもって償わなければならなかったのか。横浜裁判の審理は今からでも個別具体的に吟味されてしかるべきだろう。(第四章、p206)

今なお極寒のシベリアに眠り、太平洋の島々に放置され、海の藻屑となった数々の遺骨に、一人一人の人生と残された遺族の戦後があったことを忘れるわけにはいかない。(第四章、p228)

軍隊で部下の行為は、上官の命令に従っただけだから免責すべしという「上官命令の抗弁」の論理だ。横浜裁判ではいくつものケースで、弁護側がこうした主張を展開した。(第五章、p253)

横浜裁判の記録には命令と責任をめぐる幾多の事例が冷凍保存されている。記録を掘り起こして解凍し、次の世代に伝えていく意義はここにある。(第五章、p256)

忘れられた横浜裁判の記録に手を伸ばそうとした私の前に立ちはだかったのは、「黒塗り」と「要審査」の壁だった。(第六章、p258)

ページをめくると、被告や関係者の氏名が黒塗りになっている。人名のすべてが黒塗りというわけではないが、複数の被告がいるケースでは誰が誰だか分からない。(第六章、p260)

よく分からないのは、米軍の英文記録を国立国会図書館で閲覧すると黒塗りが皆無なのに、公文書館で同一の記録を閲覧すると黒塗りになっている点だ。(第六章、p262)

残された膨大な記録を活用し、未来にどう生かすかは私たちの手にかかっている。(第六章、p275)

dZERO新人HKのひとこと


横浜裁判。歴史の授業で習ったかな? というあやふやな記憶しかなかったのですが、この作品のおかげで理解が深まりました。A級戦犯のことは、夏になると耳にするけれども、BC級戦犯のことはほとんど聞きません。正直、あまり興味もありませんでした。しかし、私と同世代の元日本兵たちが、不条理にも裁判にかけられて処刑されたという事実に、「このようなことがあったのか」と興味をひかれました。
上司の命令でも背くのは難しいのに、それがより上下関係を徹底された軍隊ならば、命令違反をすることは不可能に等しかったのではないかと思います。私も、もし軍隊に所属していて上官の命令が下ったならば、非人道的な行為でもするでしょう。そこに私自身の良心の呵責は入らず、「命令されたから」という理由のみで従います。嬉々としてというより、しぶしぶでしょうが。
また日本の公文書が黒塗りにされているのは、昔から変わらないのだなと思いました。最近の公文書も黒塗りにされているようですし、隠蔽体質は変わっていないのでしょうね。隠してしまえば真実が覆るというわけでもないのですが。

おまけ


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