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AI研究者と俳人 人はなぜ俳句を詠むのか

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、「AI一茶くん」開発者の川村秀憲さんと、気鋭の若手俳人の大塚凱さんの対談『AI研究者と俳人 人はなぜ俳句を詠むのか』を紹介させていただきます。

俳句から探る「知能の深淵」!

概要

「知能」とは何か? 俳句とは何か? 「AI一茶くん」が俳句生成をする仕組みから、人工知能、「知能」について探りを入れていきます。AIには、人間にある身体性、感情がありません。人間のもつ抽象化がAIにはできません。AI一茶くんは、俳句を詠んでいるといえるのでしょうか? 俳句を詠むとき、人の頭の中はどうなっているのでしょうか。AIがいつか、俳句を詠んだといえる日は来るのでしょうか。根源的な謎を解明するためには、技術だけでは不十分です。AI研究者と新進気鋭の俳人の対談を通じて、人工知能の進歩と人間の「知能」の謎に挑みます。

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著者紹介

著者は、AI研究者で北海道大学大学院情報科学研究院教授の川村秀憲さんと俳人の大塚凱さん。川村さんは、1973年、北海道に生まれ。小学生時代からプログラムを書きはじめました。2017年に「AI一茶くん」の開発をはじめています。大塚さんは1995年千葉県に生まれ。全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)に3年連続で出場、2013年の第16回大会でチーム優勝を果たしました。2018年から「AI一茶くん」の開発チームに協力しています。


この作品のポイントと名言

本書は「知能とは何か」「人はなぜ俳句を詠むのか」という問いの答えを求める人工知能研究者と俳人との探求の旅です。(まえがき、p1)

目的は、人工知能について研究することです。さらにいえば、「知能とは何か」を探求することです。俳句は一つの切り口です。(第一章、p18)

俳句を題材にして、俳句を通して、ことばを作り出す・ことばを紡ぐという行為とは、いったい何か。その答えに手が届かないか。答えのヒントがないか。(第一章、p20)

句会で選句しているときは、他人の句を眺め、おもしろがりつつ、この作者はこういう人なのだろうと想像したり、句を作品として紐解いていったりするのですが、「AI一茶くん」のときは、そういう読み方になりませんでした。(第一章、p22)

人間とAIの双方からのアプローチは、俳句や文芸にかぎらず、音楽でも、絵でも、同じです。人が熱中することなら、何にでも共通するものではないでしょうか。(第一章、p25)

その句が、恋の句かそうでないか。現状のAIは、キーワードを含むか含まないかで判断することはできます。一方、人間は、恋のキーワードを含まずに、恋を詠むことができ、読者も、それが恋の句だとわかる。(第一章、p39)

意味を知らないまま、どうやって「AI一茶くん」で俳句をつくるのか。まず一つには、「組み合わせ」を学ぶ。簡単にいえば、過去につくられた膨大な俳句の中で、「林檎」の次にどんなことばが来る可能性が高いのかを学びます。(第二章、p59)

「AI一茶くん」の新しいバージョンで試しているのは、ことばをベクトルで捉える方法です。膨大なセンテンスをもとに、「意味」を数値化し、一語一語をベクトルに置き換える。(第二章、p61)

やはりそうすると、知能が立体的になっていくような心地がします。知性が身体性の上に立脚しているような状況は、より「人間」に忠実なフィクションになりそうです。(第二章、p62)

AIを使ってつくるのは簡単だけど、選ぶのは難しい。人間だと、逆です。作曲や演奏ができなくても、好きな曲は決められる。文芸も、つくる・書くよりも読むほうが簡単です。(第二章、p71)

固有名詞は抽象度が低い。意味するところが狭い。だから、「AI一茶くん」が五七五を生成したとき、意味が通りやすいのでしょう。(第三章、p98)

人とコミュニケーションがとれるようなAIができる可能性という点で、俳句の話、伝統的規範からの逸脱という話題は、AI研究の進め方のヒントというか、カッティングエッジが含まれている気がします。(第三章、p108)

AIの存在は、「推敲」と「添削」のちがいという部分にも関わってくるような気がします。(第三章、p113)

「人間であるとしか思えないAI」が句会に登場する瞬間はいつか訪れるでしょう。(第四章、p122)

俳句における「作者」と「生身の人間」の関係からすると、知能と人工知能の関係性を考えるとき、「身体性」が鍵になるかもしれません。(第四章、p129)

限りなく概念化・抽象化してしまう人間存在を地上におしとどめる固定金具の役割をはたしているのが「意識」であるという考え方もあります。(第四章、p130)

「AI一茶くん」の研究は、まずは既存の俳句の型を守り、そのうえで型を破り、独自の境地へと離れていく。その成長過程を、データ処理やディープラーニングによって実現しようという試みです。(第四章、p144)

AI研究も「知能とは何か」といった根源的なところを問い直して、いい答えを見つけるのは、とても難しい。(第五章、p165)

感情をいかに獲得するかがAIにとって大きなハードルになっているという脈絡です。(第五章、p166)

からだを持たないAIはリアルな世界との物理的なインタラクションができません。(第五章、p167)

既存のものを借りるという行為は、人間が思考するときに、いつもやっていることですね。AIでは、それがわかりやすく可視化されていると解釈していいのではないでしょうか。(第五章、p170)

俳句をつくることと人工知能をつくること。この二つはまったくちがうことをやっているようでいて、広い視野に立つと、同じ方向を向いて、同じことをやっているような気がします。(第五章、p174)

人工知能による俳句もまた、そこに主体はいなくとも、言葉と思しきものだけがそこに存在しているという試みだとしたら。その試みは、「私」という存在を、心地よく揺さぶってくれるのだと思います。(あとがき、p177)

「AI一茶くん」が人と同じように俳句を嗜むようになるためには、まだまだたくさんの課題が残されています。(付録、p185)

俳句とは、その異常な短さという形式と闘い、形式を往なし、形式を味方につけようとした人間たちの「わざ」の蓄積です。(付録、p192)


dZERO新人HKのひとこと

AIが俳句を詠んだといえるのか? 私はまだ「俳句を詠んだ」とは言えないなと思います。人工知能はまだ、感情を有しておらず、抽象的な概念も理解できないからです。それは意識を持っていないことだと私は思います。
五七五のごく短い文章の中に、豊かな感情を表現しているのが俳句だと私は思っています。なので、人工知能がいつか意識を持つことができたら、俳句を詠んだといえる日が来るのでしょうね。
SFですが、意識を持たないクローンを作って、脳に人工知能をダウンロードすれば、人工知能も身体性を獲得し、感情や意識を有することはできるのでは? と思いました。いつの日か、脳科学の研究がさらに進み、意識の謎が解明されれば、人工知能も意識を持てるようになるのかもしれません。

おまけ


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