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普通になりたかった話。

私は中学生から高校生の頃、ずっと「普通」になりたかった。そんなことを住野よるさんの note を読んで思い出した。

別に決して変な人ではなかったと思うのだけど、自分の周囲に起こっている様々なことが嫌で、それがどうやら他の家庭には起こっていないようであることを知り、「どうして私の家は普通でないのだろう」と思ってしまっていた、ということなのだ。

だから、住野よるさんの note を読んで、「あぁ、『普通の人』は『普通でいたくない』と思うのが『普通』なのか」なんて、ちょっと驚いたのだ。

でも、たしかに、そうやって「自分が普通でない」ということを自分で決めることによってしか、自分のアイデンティティを保てなかったのかもしれない、と今なら思う。

たぶん、私はあの頃、周囲から見たら「普通」だったはずだ。成績は一般的にはたぶん良いほうだったかもしれないけれど、進学校の中では中の下。顔だってスカウトをされるようなものでもない。走るのはまあまあ早くても1位にはなれない。長距離走と球技はからっきしダメ。

普段はいい子を振る舞いながら、不良に憧れて、授業中に寝たり、図書室でサボってる自分にドキドキしたりするような普通の子。でも、いい子、たぶん。そう見られていたはず。

女の子には優しそうとかカッコいいとか言われるけど、付き合うと「何考えてるか分からない」とか言われてフラれるような子。恋愛の仕方なんて全然分からない典型的な男子高学生。

全然「普通」なのに、たぶん、普通と認めてしまったら自分のアイデンティティが保てないから、自分で自分を特別扱いしたかっただけなんだよね。

今はね、もうどっちでもいいんだよね。普通とか普通じゃないとかって、そんなの周囲が勝手に決めることだからね。あるところでは普通かもしれないし、あるところでは普通でないかもしれない。

そういうのって、もしかしたら、日本人の少ない海外に行かせてもらうことが多くなって、ようやく分かるようになったかもなぁ。

じゃあ、どっちが嬉しいかっていうと、やっぱり私は「普通じゃない」と思われていたい気がするところは、結局、子供の頃から何も変わってないんだろうなぁと思う。

たぶん、学生の頃だって「普通になりたい」とかいいながら、普通になりたくなかったんだろうなぁ。

#小説 #エッセイ #ポエム #のようなもの

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