ナースのお仕事__

看護「士」時代のわたしとジェンダー・エクイティ

私ができる「ナース」のお仕事⁈①でも少し触れましたが、その昔、女性を看護「」(かんご)、男性を看護「」(かんご)として男女を区別していました。2001年に「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に改定されたことにより、2002年3月から男女ともに「看護師」という名称に統一されたんですよ。ご存じでしたか?

そもそも看護婦さん(ここでは婦と士をあえて使い分けしますね!)の仕事がどういうものなのか?知らずに勤労看護学生を進路の選択としチョイスし自分の職として目指し始めました。病院へ就職し初めて「」と「」の違いがあることも知りました。

「あぁーそうなんだぁー。」

と思った自分と、

「えっ!?何で?同じ職種にディスティンクション?」

※ディスティンクション:distinction of the sexes(性の区別)を変に略しているだけです(笑)沖縄で育ち友人たちもまた外国人であることから”聴き英語”で育ってきたので変な表現が多いと思いますが、自己的な表現としてご了承ください。注釈は随時記載していきますね!

看護学生として普通の病院に就職し、看護助手として働きながら看護学校へ通学…仕事と学校に監禁されてる感じで大変でした。
私の通う看護学校は、他校に比べ比較的男子学生も多かったのですが、その大半は精神科病院勤務。一般病院勤務の男子学生は稀な方でした。
学校で、同期の男子学生に仕事の仕方などを相談しても、精神科と一般病院では診療科も違い、仕事内容も違うため仕事に関して教えて貰うのは、職場の看護さんか、先輩看護助手(女性only)。
それがも〜大変で、女性だから優しく教えて貰えるのか?と思いきや、無視されたり、情報が回って来なかったり、働く環境はとてもいいと言える環境ではなかったですね。

同期就職の看護学生が20人(内男子3人)が半年の間に半分になり、残った男子学生は2人だけ。

ナースの仕事自体キツイ仕事で耐えれなくなって辞めていった女子学生や、人間関係で辞めて行く子も多くて、本当に大変な職を選択したなぁ…と思いましたが、当初より山岳救助隊になりたいという思いがあったので単なる通過点に過ぎないと自分的には割り切って仕事していました。

ジェンダー・エクイティ

そもそも看護職は、女性が多い職業で私としては肩身が狭かった(笑)肩身が狭いと感じている段階で、自分自身、「婦」「士」を意識して働いていたんだと思います。

私は、病棟には所属せず、これまで専属ナースのいなかった手術室と初療室(救急外来)に配属され、そちらをメインに担当していました。手術のない日や救急搬送のない時間は、病棟の先輩ナースの手となり足となり働いていました。

そんなある日、個室へ入院された患者さんに声を掛けられました。

「あの時はありがとねぇ~。運ばれたとき、正直(男性看護士に色々と対応され)恥ずかしかったけど、ここの病院にいる看護婦(士)さん達の中でアンタが一番安心できるよ。ちゃんと話を聞いてくれるし、管(尿道カテーテル)入れられる時も(施術者以外)他には見えないようにしてくれたり。何より大きいから安心して身を任せられたよ。先生かと思ったけど看護士さんなんだってね。頑張ってよ。」

なにかと先輩ナースには「男なんだから」と色々と区別されることが多く内容によっては凹むことも沢山ありました。でも、その患者さんの言葉で男女は関係ないんだなぁと思い頑張れました。

今思えば、社会的に少なからず男女差はあった時代。女性が活躍できる看護領域は、女性が主ともいえる環境であったゆえに男性であることに風当たりが強かったのだなぁと思います。社会全体の均衡性に問題があったのではないでしょうか?最近ではそういった問題も解決しつつあるとは思いますが、性別に関係なく個々が尊重され生きやすい社会になれればいいなと思います。

導く先輩ナース

男性看護士としてメンタル的にキツイなぁ…と感じながら学業に励んでいたわけですが、そんな中よい道へ導いて下さる先輩ナースに出会うことができたことも看護士を続けられた要因です。

それは、正看護師への進学先での恩師と実習先での産科病棟の婦長さん。

准看護士からそのまま進学コースで正看を目指したのですが、准看護学校を卒業後は病院勤務も通常通りにこなしていたのでとてつもなくハードでした。進学した先の学校は「隔日全日」という授業スタイルで3年制。1年生の時は月水金、2年生の時は火木金、3年生は実習があるため月~金のうち実習先によって週3~4日…という感じでした。珍しいですよね!学校以外は全て病院で勤務していたので休みはゼロ…例えば、1年生の時の1週間は月曜の日中は学校→帰宅後はそのまま夜勤で火曜明けて仮眠し夕方に時間調整勤務。水曜も金曜も月曜と同じ流れで学校後は夜勤。土日は日勤か夜勤。学校の日を休みと有給で埋めたり、規定就業時間に不足な時間を調整勤務で調整したりホント大変な学生生活でした。挫折しかけてたのですが、当時担当下さった恩師が、「あなたみたいな人がこれからは必要になる」と声をかけてくれるだけでなく、母親のような温かさで支えて下さりました。おかげでちゃんと卒業できることになり無事に看護師免許を取ることができ、この人のようになりたいと思った初めての看護婦さん(恩師)でした。

先に書いたように、当時は男性看護士が少ない時代。進学先には男性看護士もいましたが、精神科に勤務する看護士ばかりで自分のように一般病院へ勤務する看護士がほとんどいなかったのです。実習では、産科病棟の実習もありましたが、実習前の話だと男性看護士は出産(妊婦)にはあまり触れず、父親への対応や心理の変化などを学べればよい(日本での男性看護師は、現在でも産婦人科や助産師への道はありません)とのことで担当するお父さんも決まっていたのですが、突然、病棟婦長が訪れ「あなた救急目指してるんでしょ?なら来なさい」と、実習開始日に別室に呼ばれ決まっていた担当のご家族とは別のご家族を紹介されたのです。びっくりしたのですが、紹介されたご家族はとても親切なご家族で、妊婦さんも経産婦さんで旦那さんは小児科医師。ちょうど出産間近とのことで出産に立ち会う事になったのです。そこで出産という貴重な場面に立ち会うことができ、出産後のケアも経験させて頂けました。小児科医師である旦那さんからは、正常出産に関するシュミレーションを教えていただいたり本当に貴重な体験をさせて頂きました。

後にお聞きしたのですが、恩師から私のことを聞いた病棟婦長さんが、出産前からずーっと妊婦さんに話をしてくれて担当をお願いしてくださっていたようです。妊婦さんは婦長さんの熱意に心動かされたと話してくださいました。だから立派な看護士さんになってね!とありがたいお言葉を頂きました。

看護を職に選択したのですが「婦」か「士」を気にしていては本当の看護はできない。でも、これからもジェンダーに対する問題は課題になっていくであろうと思いました。しかし、私を導いた先輩が本当に教えたかったことは「私たちは患者を看るべきで、性別関係なく人々を健康に導ける存在になりなさい」と伝えたかったのかもしれない…と今になって思います。

終わりに…

なんだか自叙伝見たくなってしまいました(笑)いろんな経験があって今の私がいます。ジェンダー・エクイティはその当時そう感じていた自分がいたので題材にと思いましたが、結局のところ仕事をしていくうえでdistinction of the sexes(性の区別)の社会的風潮に悩まされていたのだなぁと。今になって思えますが、四半世紀が過ぎた今でもまだまだ課題は多く残っている難しい問題なんだなぁとも改めて感じています。そういったことも含めて…

「私ができるナースの仕事」

経験をもとに患者さんに接したり、後輩ナースを育てたり、教科書にはないような事が伝えられるような仕事の仕方や、看護の温かさを伝えられるような事ができるといいなぁ…と、まだまだ模索中ですが。「看護の仕事はずっと学び続けることである」と恩師が口酸っぱく言っておりましたが、本当に大変なお仕事だなぁと実感しているのと同時に「やっぱ好きやな、この仕事」と感じております。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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