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【高齢者支援】ひとの尊厳を考える「うわ履き」

デイサービスにて


Sさんは、デイサービスの利用者で背が高いスラっとした紳士だった。
身寄りはなくお一人で生活保護を受けて暮らしていた。
小さな庭がある古い借家に住み、春が近くなると毎年どうやって切ってきたのか、庭になる梅の木の芽吹いてきた枝をデイに持ってきて飾れと職員に渡すような心優しい人だ。

ある時、毎月行なっているお誕生会のとき、すべて行事が終わると、相談員(当時指導員)だった私を呼びこう言った。「俺の誕生月はいつか知っているか?」
言われて真っ青になり調べてみるとなんと2ヶ月前! あわててみんなで出来るかぎりのお詫びをしたが、Sさんは怒ることもなく、「自分のような想いを他の利用者がしないよう気をつけるように」と私たちに優しくにこやかに言った。

そんなSさんも次第に身体が弱ってきて、自宅であまり動きがとれなくなり、トイレもひとりで行けなくなってくる。デイサービスの迎えはベットから起こして用意をするところから援助するようになった(自宅の中まで迎えの援助に入ることは基本的な援助ではなかったが)。支度が終わり玄関で靴を履く。バレーシューズと呼ばれる小学校などで使ういわゆる「うわ履き」だ。青いラインが入っていて白い部分は布で出来ている。私たちは、他の利用者も迎えに行くために朝の送迎時は少しでも時間が惜しく、あわただしく玄関でそのうわ履きをはかせようとすると、Sさんは、「待て」といい、玄関に用意していた白墨(チョーク)でうわ履きの白い部分の汚れているところをチョークで塗れという。うわ履きなんか洗えば良いのだが、洗うことは手もご不自由で自分ではできない。身だしなみとして靴は綺麗にして出かける、紳士のたしなみだった。いくら身体が弱くなっても出かけるときには靴を磨く、それが何百円で買えるようなうわ履きでも。そういうきちんとした方で、私たちはそれを尊重した。

特別養護老人ホームへ

Sさんは、自宅でひとりでは暮らせなくなるほど身体的に低下し、ほぼベット上で過ごす生活になると特養施設に入居した。私たちのデイサービスの2階にあるホームだ。何人かデイ利用者が入居して2階の特養で生活していたが、デイの職員は忙しく、利用者が入所してしまうと自宅での生活が心配だった職員たちはある意味少し安心することもあり、同じ建物の中にいてもなかなか会いに行くことはなかった。


しばらくするとSさんは脳梗塞をおこし意識レベルが低下した。少しでも励まそうと2階の部屋を訪ねるとSさんは寝ていて、いや起きていてもすでに誰が来たのかもわからない状態になっているのはすぐにわかった。ふとベットの下を見ると、あのうわ履きがあった。かなり汚れていたし、揃えて置いてあるわけでもなく脱がせてそのままのようで片方はひっくり返っていた・・・。なぜか悲しかった。また悔しくもなった。几帳面で安いうわ履きも綺麗に履いていたSさんを思うと胸が痛んだ。
特養の介護っていったいなんなんだろう・・・その時に思った。Sさんは子供もいない人だが、もし、この汚れた靴を息子や娘がいたら見てどう思うのか。もし、子供の頃から玄関で靴を揃えることなど、親から厳しく言われて育てられてきたとしたら、この状況を見てどう思うのだろうか。正直ショックだった。気丈なSさんがこのように扱われていることに非常に残念に思うと同時に怒りも感じた。自分もデイサービスに配置される前3年間この施設の特養で介護職として働き、夜勤もやってきた。その時に自分は同じようにこんなことはしていなかっただろうか、自問した。ご本人の気持ちや尊厳を大事にして介護をしていたつもりだったが、業務に追われストレスを抱えながら自分を見失っていくことも経験した。このまま仕事を続けていいては自分が壊れる、とも感じることもあった。身体も心もすり減らす非常に過酷な仕事だ。そんな状況では優しさや思いやりは消えてなくなっていくことも知っている。でも、そんな状況でも出来るかぎりの心配りをすることがこの仕事ではないかと思った。


特養ホーム入居者には、いろいろな人がいて、その人がどんな人であったのか、どんなことを大切にしていたのか、思いやりのある優しい人であったり、あるいは子供にとっては厳しい親であったりするはずだ。そのことはその人の人生として今も家族や関係のある人の中ではそのまま生きている。
施設職員として仕事をしていただけではわからない、自宅での生活、家族との関係、地域で暮らしたこと、そういうことを知ることは、その人らしい生き方を支援するためには絶対に必要なことだ。そして、どんな状況でも人の尊厳は守られなければならない、どんなに小さなことでも。デイサービスでの仕事を経験して多くの利用者の在宅での暮らし、ご家族や地域での関係を知り、施設ケアの状況も理解したうえで感じたことだった。

デイサービス相談員のあと、さらに新設の特養施設の相談員として職員の育成にかかわることとなって、研修や何か機会があれば必ずこの話をみんなに聞いてもらっている。
亡くなったSさんが私たちに残してくれた大切なメッセージだと思うからだ。

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