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面白さを求めるならリアリティを 

 
 この文章は2022年11月26日(土曜)19時半に公演された劇団浪漫好―Romance「なにもん芝居」(作・演出 高田 滉己)の劇評です。

 舞台は黒い八角形の舞台、舞台装置は特にない簡素な舞台。下手、上手には黒幕があり、袖を作っていた。舞台後方には大きなスクリーンがあり、前説の後、しばらくしてスクリーンにオープニングアニメーションが映し出された。
 
 劇団浪漫好-romance公演「なにもん芝居」は「人生保険」「化かし化かされ」「泣く子はいねぇか」の短編三本のオムニバス芝居である。当日配られたパンフレットの演出家挨拶にはそれぞれが独りしたお話で関連性はないという。

 最初の「人生保険」は交通事故で死んだ男(平田 渉一郎)が天使(岡島 大輝、志田 絢音、室木 翔斗、柳原 成寿)に来世の人生を保証するための契約を迫られるお話、寿命と引き換えにお金持ちになれたり、人気者になれたりする契約を天使が勧めてくるが、寿命を全うする普通の生活を望む男は一貫して拒否する。天使はほかの天使と手を組む。そして魔王とファビラス嬢が戦い、ファビュラス嬢が負ける荒唐無稽な状況を男にみせ、荒唐無稽な理屈で契約を迫ってくる。男はしぶしぶ契約を受け入れ、バズーカを手にして、魔王を倒す。そしてそのあとも契約を迫ってくる天使をバズーカで吹き飛ばして舞台は暗転する。

 次は「化かし化かされ」である。狐の面をつけた法被姿の男(山根 宝華)がでてきて、自分は占い師を騙る狐であると観客に向けて説明する。後に狐は女性客(山崎 真優)を迎え、占い始める。占う中で狐は女性客の正体が同類の女狐であると気づく。そして女狐は稲荷の白狐であると正体を明かし、占って欲しくて来たという。彼女は人間に憧れて、人間社会に入ったが、嘘をつく人間の姿を見て幻滅したという。その悩みに狐も共感し、歩み寄ろうとするが。女狐は豹変し、狐を動けなくすると狐の稼いだお金を奪っていくのであった。

 最後の話は「泣く子はいねぇか」。舞台前にて、町内のイベントで『なまはげ』をする青鬼と赤鬼の面つけた男(岡島 大輝、小石川 武人)が作戦会議をしている。彼らはこれからある家に押し入り「泣く子はいねぇか」と言いに行くのだ。だが、赤なまはげが入ったその家は夫婦(横川 正枝、室木翔斗)が離婚話の真っ最中の家だった。2人のなまはげは離婚間際の夫婦の迫力の前になすすべがない。そんな中、夫婦の子供(山根 宝華)が舞台上に出てくる。子供が出てきたので、再びなまはげを遂行する二人、なぜか子供に笑われる。その姿に赤なまはげは、子供を悲しませる離婚夫婦に『子供を楽しませるのは親の役目ではないか』と諭す。その姿には説得力があった。なまはげという人間味のある『なにもん』が見えた気がした。感化された夫婦はようやく対話し、誤解が解け、和解する家族。
 
 今回のなにもん芝居の3本は若い役者が多く、勢いや熱量が感じられたものの、作品全体を通してリアリティがなく、物語の展開を楽しむことができなかった。ここでいうリアリティとは物語を観客に信じさせる、また、展開される物語に観客を入り込ませる現実的要素のことである。ここでは特に『化かし化かせれ」と「泣く子はいねぇか」に触れる。
 「化かし化かされ」では狐のキャラクターがぶれてしまっている。この狐は『人間をだますのが好きである』と冒頭で語っている。その理由として、人間社会に入ったときにいじめられたことを復讐としてあげている。ところが、ラストシーンで自分を騙した同類の女狐から神様にお目にかかってみたかったという理由で稲荷のあかしを取り上げる。なぜ、神様にお目にかかってみたいのか?人間をだますのが好きだという冒頭の設定とつながらない。こういう性格の人物だとうかびあがってこない。女狐とのやり取りにしても葉っぱの効果で正体がわかるというのはあまりに早すぎる上に簡単すぎるため、心理戦として成り立たず、物語に引き込まれない。本来、心理戦はもっと緻密なやり取りがあり、かまをかけたり、うかつに言った一言で上げ足をとられるものではないか。また、展開が早すぎるため、女性客がどんな人物なのかという人物の輪郭が見える前に正体をさらしてしまっているため、まるで意外性がない。
 また、女狐が悩みとして告白するエピソードにしても短く端的で抽象的で、真実味がない、いじめられて悲しいという漠然とした雰囲気しか伝わらない。そのため、迫力がない。職場の人にどんなことをされたのか?具体的にどう思ったのか?想像させてほしい。

 「泣く子はいねぇか」の夫婦は、なまはげが入ってきたときから、喧嘩をしている雰囲気は伝わるものの、何に怒っているのか、なぜ怒っているのか、芝居の中に具体的な中身が感じられず、怒っているポーズをとっているようにしか見えなかった。また、青なまはげが神だといった言葉をうのみにして質問しているさまは、離婚間際の夫婦というリアリティを崩壊させていた。この瞬間から私は、二人を離婚中の夫婦として見れなくなっていたと思う。

 人間ドラマをやるにしても、コメディをやるにしても舞台にはある程度のリアリティは必要である。でないと、物語を信じることはできないし、入り込めない。舞台にリアリティがなくなった途端に観客の心は舞台を俯瞰して、離れてしまう。赤なまはげのようになまはげという一貫した現実の役割があり、そこから脱線することで面白さが生じる。今回はとても簡素な舞台であり、観客を世界観に引き込むには舞台装置を頼ることができなかった。その分だけ、登場キャラクターが具体的な存在であり、リアリティを持たせなくてはいけなかった。しかし、今回の舞台では赤なまはげを除いて登場キャラクターもどこか輪郭がぼんやりとしていて不明瞭だった。また、キャラクターはどこかで見たことあるような典型的なキャラクター(離婚間際の夫婦など)なので、オリジナリティが感じられず、魅力的に見えなかった。これからはもっと具体性を持った物語創作を目指して、頑張ってほしい。

 12月17日 修正 木林 純太郎

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