シューカンドルヴァはカワいいだケじゃなイ①
ある街に引っ越してきた女。彼女は仕事の都合もあったが、恋心もまた抱えていた。大学時代の先輩男とルームシェアをすることになっていたが、その男には想いは伝えていなかった。
街の中心にある駅に降り立つと、女はすぐに違和感に気づいた。プラットフォームの地面や天井の至るところに、凹みや穴があるのだ。案内板もボロボロで、とても主要鉄道の駅とは思えなかった。不思議に思いながらも改札を出ると、男が待っていた。相変わらずのイケメンで女は嬉しくなる。が、やはり街並みのボロボロさに不安になる。
「先輩、この駅、なんでこんなにボロボロなんですか?」
「え? ボロボロ? つい先月新しいプラットフォームに更新されたばっかりだよ」
「え……?」
男は周りの惨状に全く気づいていないようだった。女は困惑する。
「だって、その辺とか、穴空きまくってるじゃないですか。田舎駅でもこんなことないですよ」
「穴? これ? こんな小さな穴よく気づいたね。普通に歩いてたら気づかないくらいだよ」
女は、これは男の冗談だと思うことにした。駅から出てバスのロータリーに向かう。女は息を呑んだ。バス停がボロボロなのもそうだが、時刻表に何かが張り付いている! 暗い青緑色の、トゲトゲした塊だ。巨大なウニにも見えるが、丸くはない。
「先輩! これなんですか!?」
喉から掠れた声が漏れる。こんな異常なものがあるのに、男は平然としていた。
「え? シューカンドルヴァのこと? もしかして知らないのか?」
「しゅ、なんです?」
「シューカンドルヴァ。かわいいだろ、この街にはたくさんいるんだ」
「か、かわいい!?」
悪い冗談だ。そうに違いない。きっとドッキリだろう。待っていたバスがやってきた。右前輪がパンクしていて、窓ガラスも何枚かなくなっている。バスはガタガタと揺れながら停車した。、悪い冗談だ。
街はボロボロだった。道路は至るところに穴が空いていて、バスは激しく揺れた。椅子に尻がくっついている時間より、浮いている時間の方が長いくらいだと思った。街並みを作るビルの壁面には、数メートルもあるシュなんとかが張り付いていて、バキバキと壁をかじっていた。コンクリートの粉が上から降ってきているのに、歩道を歩く人は気にしていないようだ。
バスが信号で停車している時、不意に正面の信号が明滅し、消灯した。次の瞬間、信号機がグラリと傾き、交差点に倒れてくる。下敷きになった乗用車は制御を失って、反対車線を走る車と正面衝突した。信号機の根本には、あのトゲトゲの塊がうずくまっている。
「はは、シューカンドルヴァがまた信号機を倒したみたいだ。かわいいけど、いたずらが大好きなのは困りものだよな」
男は呑気にそんなことを言った。ボンネットが潰れた車からは延々とクラクションが鳴り響いている。バスは発車すると、その車をゴリゴリと押しのけて進んだ。
「次のバス停で降りるから、ボタン押してくれ」
そう言われたので、停車ボタンに手を伸ばす。が。
「ヒェッ!」
押しボタンを、手のひらサイズのトゲトゲが覆っていた。思わず悲鳴が漏れる。
「あれ、こんなところにもシューカンドルヴァがいる」
男は女の視線に気づくと、トゲトゲを指で押した。塊はモゾモゾと動いて、ボタンの上から移動する。
「触って痛くないの?」
声が震えている。男は平気な顔をしている。
「痛い? さっきから何言ってるんだよ。ふわふわで可愛いだけじゃないか」
《次、停車いたしまぁす》
男が押した停車ボタンには、べっとりと血がついていた。
「ちょ、怪我してるじゃん!?」
「あれ、ほんとだ。いつ切ったのかな。ま、舐めとけば大丈夫でしょ」
バス停から少し歩いた先が、男のアパートだった。道路に面した壁面には、当然のようにシュなんとかが張り付いていて、壁を食べていた。
「お邪魔しまぁす……」
「ただいま、でしょ」
綺麗に片付いた家の中は、静かだった。
「よかった、ここはちゃんと壁があるんだね」
「はは、何言ってるの?」
男はリビングのドアを開けると、言った。
「ただいま〜!」
部屋の真ん中のテーブルの上に、1mほどの大きさの、暗い青緑色の、トゲトゲした塊が鎮座している。それはちょうど木製のテーブルをかじって穴を開け終えたところだった。男の声に気づいたのか、塊は先細った一端を持ち上げた。
女は腰を抜かした。
「そ、そんな……」
男は満面の笑みでトゲトゲの塊を撫でている。トゲトゲは時折、「ギェェェ!!」だの「ガチガチ!!」だのと鳴き声のようなものをあげる。男はそれを聞いて、満足そうに頷いていた。
「かわいいだろ」
「なんで、家の中にまで……」
「役所は飼っちゃいけないって言ってるんだけど、こんなかわいいの、連れ帰らない方が無理があるよな」
もはや口を開けても何も言葉は出てこず、女は自分の部屋へと向かった。先に届いていた段ボールの山だけは、正常な世界観を保っている、と、女は感じた。
シューカンドルヴァはカワいいだケじゃなイ ①
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