日常Co.,Ltd

『日常Co.,Ltd.』

 最近、街を歩いていると、奇妙な看板が目につくようになった。なんでも「日常をお売りいたします」というのが売り文句らしい。日常って売り買いできるもんなのか? 看板が目に入るたびに疑問が頭の中をグルグルする。あまりに気になるので、職場の同僚のEさんに話をしてみた。Eさんは俺と同期で、仕事のできる女だ。
「日常を売りますって看板、最近増えてますよね」
「はあ、もうだいぶ前からありますよね」
「Eさん、気になったりしません?」
「う〜ん、あたしはあんまり。日常を買うって想像できませんし」
「俺はもう最近ずっと気になっちゃって。どういうことなんだろうって」
「下敷きさん、最近仕事が遅いと思ったらそんなこと考えてたんですか」
 下敷きさんというのは俺のあだ名だ。下敷きで頭を擦っていたところを見られて付けられた。同じ理由で係長は俺のことをサイヤ人と呼んでいる。
「いや、もうほんと気になっちゃって」
「そんなに気になるなら一度行ってみたらどうですか。先月駅の近くに新しく店舗ができたんです」
「へえ、それは耳寄りだ。仕事終わりに行ってみることにします」

 新しくできたというその店舗は、なんの変哲もない小綺麗なテナントに見えた。小さな駐車場にはノボリが置いてあって、看板と同じ「日常をお売りいたします」とだけ書いてある。少し躊躇するが、せっかく来たんだ、勇気を出して入ってみる。
 音もなく自動ドアが開く。正面には小さなカウンターがあり、受付の男性がとぼけたような顔を上げた。
「こんばんは」
 とりあえず挨拶をしておこう。
「あ、ええ、こんばんは。今日はどうされたんですか」
「ええ、実は前から御社の看板が気になっていて、いったいどういうことなんだろう、と思いまして」
「あ、ああ、なるほど、当社のサービス内容をご確認したいということですね」
「はい、そんな感じで」
「担当者を呼びますので少々お待ちください」

 案内された待合室にはウォーターサーバーがあり、その隣には雑誌の入ったラックが並んでいた。週刊誌を手に取る。最新号だ。総理大臣が国会で切腹、インド軍が壊滅、フランスでは共産革命が成功、革命政権が樹立したとの記事。知らない間にそんなことが起こっていたのか。へえ。
「お待たせしました。お客様。こちらへ」
 現われたのは、スラリと背の高い綺麗な女性だった。導かれるまま、隣の部屋へと入る。待合室と同じようにさっぱりした白い空間だったが、部屋の真ん中にある大きな椅子が目を引いた。
「こちらにおかけください」
 促されるまま座る。女性も傍の小さな椅子に腰掛けた。と、何か椅子の側面のボタンを操作した。次の瞬間、椅子の背から輪のようなものが出てきて、俺の頭に巻きついた。ピリリ、という刺激。
「ちょ、ちょっと、何するんだ!」
 驚いた。怒鳴って椅子から飛び降りる。女性は申し訳なさそうな顔をしている。
「すみません、新店舗での施術で、何か手違いがあったものと思われます…」
「説明もなしにこんなことをするなんて、とんでもない会社だ。だいたい日常を売るなんて意味が分からない」
「そうですよね、大変申し訳ございません」
 女性の態度にも不信感が出てきて、ここはさっさと店を出た方が良さそうだと思った。転がるように部屋を飛び出す。足早に待合室を通り過ぎると、受付の男が笑顔で見送ってきた。ムカつく男だ。
 店の前の道路まで出ると、駅が爆撃されて黒煙がもうもうと上がっているのが見えた。が、今はそれどころではない。日常を売るなんて世迷言に時間を食われた分、しっかり働いて遅れを取り戻さなければ。同僚のEさんとの差はどんどん広がっているんだ。

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