見出し画像

旅人と言われるのが苦痛なのだ

大体の旅人は日本で安心できるところまで稼いで、世界を回って居ると思う。しかしその流れを指して【旅人】と一緒にされてしまう事が私にとって嫌な事の一つだ。別に特別になりたい訳ではないけれど。
いつ死んでもいいと思っている。楽しむため?そういうわけでもない。この感覚を言葉にするのはとても難しいが、賭け事ににてるかもしれない。命をはって裸同然で世界を渡り、本気で自分の生きる力を引き出そうとしている。賭けに負けたら死ぬ。全身全霊で生きないと、きっと死んでしまうだろう。そして、旅ではない、そういう生活なのだ。旅人といわれるのが実は苦痛でたまらない。生活する場所を変えているだけだ。

そしてなぜ【旅人】と言われるのが嫌かというと、上記のパターンに全く属していないのだ。所持金がなくてもどこでも行ってしまう。
一番所持金が少なかった国は、旅の始まりの序盤であるオーストラリアである。色々なところで公言しているが、タイ生活半年を経、オーストラリアのビザと渡航費を支払って・・・手元に残ったのは5千円だ。35~40ドルくらいだろうか。
何を思って私は飛び出したのだろう。日本に帰れば、神様みたいに常に見守ってくれ愛情を思う存分与えてくれる旦那様が待っている。その頃はまだ摂食障害が完全に治って居るわけでもなかった。


【自分の感覚】というのをはっきりと体感したのは311の時だった。地震が起きた後、私の全身全霊が東北へ向かうようにサインを出してきた。
このままじゃいられない。居ても立っても居られない。今すぐいかなければいけない!
全て体の感覚の話だ。私は落ち着きをなくし、寝る間も惜しんで東北へ行く方法やら情報やらを調べまくっていた。
気付いたら3年近く、岩手の滞在と東京の行き来を続けていた。
東北大震災のボランティア活動は【自分の衝動に従い続ける】ことの大切さを教えてくれた。その頃に出会った仲間との触れあいや【被災地で自分が出来る事を精いっぱいやる】事が嬉しくてたまらなかった。

知り合いもいない、行くあてもない、全財産5千円、摂食障害、
こうやって書いて一般的に見てみるとリスキー過ぎるのかもしれない。
身体の感覚が日本に帰る事を止め、オーストラリア行けと言う。ただそれだけを頼りに海を渡った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?