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衒学バトルから降りよう

 衒学バトルで遊ぼう。自分の知識を開陳して鼻高々になろうじゃないか。会話とかSNSとかの日常的な対人コミュニケーションで、相手よりも自分の知識とか学習のアピールをできればできるほど優越感を得られる。逆にアピールされれば劣等感を抱く。そういう絶え間ないバトルだ。

 くだらないだろ?

 これから衒学バトルがくだらないっていう当たり前の話をしよう。


 僕は地理が好きだ。専門的とまでは言えないが、趣味的に。地形のでき方、河川の流れ方、河川と人々の営み、都市のでき方、現状。大地の動きと人間活動を反映した地表環境が魅力的だと思う。

 だが残念なことに最近、それが衒学の種となりつつあった。僕はこの前から数学・物理・情報を専門とする学科で学んでいるが、その学科で学びつつ、地理という一見関係なさそうな分野にも詳しい自分、という特殊性をアピールしたいと思い始めた。学科のみんなは勉強熱心で、○○の勉強をするぞという宣言、勉強している本の写真、「○○論のこの数式は~」というような専門的な分野の話題が常々聞こえてくるから対抗したいんだ。みんながあまり意識していない地理が好きなことは、アピールになる。

 地理はその内容が多少アカデミックな色合いを持っているばかりに、衒学に使いやすい。もちろん、学問としてはそれを専門的に学んでいる人には及ばないし、趣味的に楽しむだけなら他の趣味と本質的に対等なのに、専門分野に加えて地理という学問的な分野の知識も豊かな自分は「特殊」である、と言い張るのだ。こうして、好きであったはずの地理は自分を強く見せるための道具になる。

 SNSとかを見ていればすぐに気付くが、数学・物理・情報系の分野と同時に、地理とか、歴史、言語、美術にも同時に詳しい人だってよくいる。どの分野についても高度な話をしているんだ。それを見ると、僕は怖くて逃げだしそうになってしまったり、「物知りっぽく話しているけど、本当にちゃんと知っているのだろうか」とひねくれた見方をしたりするようになってしまった。

 馬鹿馬鹿しいことではないか。自分の特殊性を誇示したいがために、自分が好きな分野について話している人に対して、その分野を話したいと思うより先に、その人の存在を恐れ、疑うんだ。僕にとって地理はもともと趣味的に好んでいるものだったはずだ。他の人と楽しく意見を交わせない趣味って一体何なのだろう!

 学問的なものの知識をひけらかすことが目的なら、適当にいろいろな本を読み漁って雑学をたくさん仕入れればいい。「よく分かる○○学」みたいな本から一節持ってきて「こんな話があるんだよね、知ってた?」みたいに言えば、衒学の完成だ。それを知らない人に対して自分を強く見せることができる。もちろん、既にその分野に詳しい人もいるだろう。だから次はその人も知らないような「よく分かる○○学」から引っ張ってきて、衒学を行う。それを何度も続ければ、どんな分野についても衒学ができる。自分は物知りだと思える。鼻高々。しかし、それが目的なのか?

 雑学を多方面にひけらかしても、僕が好きでなければ虚しいだけである。もともと僕は、僕が好きな地理の話をしたいのだ。僕が好きな地理の話は、分かりやすく「映える」とは限らない。学問は一言で言い表せて面白い知識がすべてではないのだ。それでも僕は地理の話がしたい。他の分野の知識ではなく地理であり、代替可能ではない。

 僕が趣味的に好きな「地理」の特殊性は、「アカデミックっぽい」とか「社会問題に関わり社会的に正しい」とかの外部からの正当化の上に成り立つのではなく、僕がそれを好きであるというただ一つの、かつ最も意味のある要素にのみ支えられているはずだ。だから、自分の特殊性があるとすれば、それは自分が特定の分野について何か知っているということではなく、その奥にある「僕はそれが好きである」という愛だ。愛なしに知識を喋ってもそれは事実の陳列でしかなく、ネット検索に劣る。

 自分の特殊性がその愛から始まるのだとすれば、特殊性をアピールするために好むというのは順序が逆なのだ。僕からにじみ出る「好き」の訴えが結果として僕の特殊性を形作る。だから、自分の何が特殊で、どうアピールするか、ということをわざわざ考え続けるのは虚しいだけだ。もちろん、自分の特殊性を自覚できれば自己肯定感も上がるし良い気分になれる。しかし本来、自分は自分である時点で特殊なのだ。時には他者に対して特殊性を訴えるのはお休みにして、自分が何を好むのかを見つめることが大事なのではないか。

 僕はSNSの向こうの、専門的な内容に詳しくて日々その話をしている人を恐れていた。しかし、その人たちだって、他人のための自分の強みアピールではなく、それぞれの「好き」がにじみ出ただけなのだ。学問的な話題は専門的に見えて身構えてしまうが、本当は好きな漫画の話をするのと質的な差異はない。その話題に追いつこうと思っても良いし、無理に追いつかなくても良い。僕が勝手に衒学バトルという競争に落とし込んでいたからみんなの「好き」が見えなかったのだ。さあ、みんなの好きなものの話をしよう。

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