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表現者になろう

 積読でパワーを得られるという君の気持ちが分からない。積読は、やりかけで放置している事柄のかたまり。君が読んでいないあれやこれやが君の部屋を占有し、さらにはその本の存在が君の頭の中にもどっしりと構えそうなものだが、君はむしろそこからパワーが得られると言う。正気で居られるのだろうか。
 逆に、僕が変なのかもしれない。モチベーションが湧かなくても、読みかけのものがあればそれを読むまで次に移れない。しかしなかなか読み進める気にならないので、ずっと読み終わらない。これって単純に僕が読書嫌いということなのかもしれない。いずれにせよ、やりかけで放置したものが部屋を占有していると、そこから来るものは読まなければならないという焦燥感や、読んでいないことへの罪悪感だ。それを平気で放置できるのが分からない。

 人生だって、積読が溜まってどうしようもないんだ。昔は、色々な分野に触れてみて、それらの間を結び付けるような何かを産み出すことが人生の最終的な目標になると思っていた。高校では娯楽的なものから学問的なものまで、未熟ながらもいろいろな趣味を持った。それは楽しい時間だった。そんな色々な趣味が、高校までで終わってしまったような気がするんだ。
 大学で「高校の時はあれをやっていました」「これが好きです」なんて言ってみる。しかし実は僕はもうそれをやっていない。飽きてしまったわけでもないが、モチベーションが湧かなくて高校が終わってからしばらくほぼ放置している。やめてしまったなら割り切れば良いのに、多方面への見識のある自分がやめられないから、それだけは取り柄だと思っているから、やっていることにするのだ。体裁を整えるために放置しているものからパワーを借りる。積読とはこういうことか!
 高校の頃のあれやこれや、本当に面白かったな。でも、他にもやりたいことがいろいろあるんだ。やりたいことを全てやりたい。大学がその最後の時間なんだ。なんか無性に焦っているんだ。やりたいことだけ大量に抱えて、どれか一つをやっている時には別の何かをやっていないことへの焦りを抱えてしまう。やめてしまった趣味の跡を眺める時、その趣味を離れてしまったことを責められているように感じる。あれもしたい、これもしておきたい、昔のあの趣味にも復帰したい。でも時間がない。時間がない!

 何がそんなに欲しい?君にあるものが欲しい。君が手に入れて僕が手に入れられていないものが欲しい。他人が羨ましく見えるのは人間の性?SNSが苦しいのだってそのせいだ。SNS越しの他人は羨ましい部分ばかりが誇張される。
 豊富な知識、それに裏打ちされた興味深い発言。
 創作の技巧、例えば文章や絵や音楽。
 好きなものへの没頭、努力。
 君は何でも持っているなぁ。なんていうのも幻覚か?

 君の表現が欲しい。君の些細な感情の発露がほしくてSNSに溺れている。その中で、僕の感情を再発見できるかもしれないから。人間って、新しい何かに触れるよりも自分のあり方を再発見する方が快楽を得られるらしいね。
 僕の表現が欲しい。頭の中でどんな考えがあっても、それを表現できないと意味がないじゃないか。僕の気持ちを表現のレベルに高めて、君とやり取りしよう。

 結局のところ、欲しいものって表現だ。

 外界とのインタラクションを活用したプロダクトを構想する、大学の授業。この世にあったら面白そうな製品を実際に創り出す営みって、表現だ。
 都市工学の専門じゃないくせに取った、アーバンデザインの授業。都市のあり方を考察し、対処しようと考えた結果が、都市の建築物や街路のかたちに反映されているって、表現だ。
 日常生活のレベルでも、絵、物語、音楽と、表現に満たされて生きている。表現に触れた僕に現れる気持ちは、表現への憧れだ。
 みんな表現している。前に友人たちと「クリエイティビティに憧れる」なんて雑談をした。その友人は今は絵を描いたり、作曲したりしている。僕は何をしている?
 表現の手段が欲しい。絵を描けたら。曲を作れたら。歌えたら。文を書けたら。
 本業たる大学の勉強だって表現の手段の獲得だ。物理や情報を使えれば、自分の実現したい機能を表現する方法が分かるかもしれない。趣味でいい。プログラミングで面白い機能を作ってみました、でも全然かまわない。手段を得よう。
 表現はまず君のため。この世には無数の表現者がいるのだから、僕の気持ちだけが皆に見られるなんて好都合なことはない。むしろ基本的に誰も見向きもしない孤独な世界だ。でも僕の周りの君たちは、確かに居る。まずは僕の気持ちを表現にして、君とやり取りしよう。思ったことを表現して、今までにないものに思いをはせよう。あるいは既にあるものを自分なりに捉えなおそう。
 表現者になろう。やりたいことを抱えながら、何もせずに終わるなんて勿体ない。表現することに時間を捧げてみよう。やりかけ、やらないままで放置したものへの悔いをかき消すのは、何か一つでもいいから真摯に取り組むことだ。悩んでいても意味はない。拙くても愚かしくても、最初に表現するのが、全ての始まりだ。

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