レイ・ブラッドベリ『華氏451度[新訳版]』感想


レイ・ブラッドベリ『華氏451度[新訳版]』(伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF)を読みました。

文庫裏のあらすじを引用します。

華氏451度──この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)のひとりだった。だがある晩、風変わりな少女とであってから、彼の人生は劇的に変わってゆく……本が忌むべき禁制品となった未来を舞台に、SF界きっての抒情詩人が現代文明を鋭く風刺した不朽の名作、新訳で登場!

レイ・ブラッドベリ『華氏451度[新訳版]』



※感想です ネタバレがあると思います。


すごく面白くて、すごく考えさせられました。

1、豊かな文章表現

初めは文章が独特で読むのが少し大変に感じてしまいました。それは比喩表現が多く抽象的な世界で、例えばモンターグの妻がベッドで横たわって夜を過ごす様子は、

夜ごと打ち寄せる波音は妻のからだを乗せて沖合へ去り、彼女は目をあけたまま朝に向かってただようのである。

と表現されています。

現実に付随する想像の世界の割合が多く、幻想のような雰囲気も持っていました。ですが想像の世界が豊かにくっついていたのは最初の方が主で、途中からはそこまで割合が高くなくなったと感じました。決してなくなったわけではなくそこここに登場しますが、この文章にも意味があった!と感じたのが個人的に衝撃でした。それを感じたのは、

主人公ガイ・モンターグは、本が禁じられている世界で、本を燃やして処分する昇火士(ファイアマン)の一人です(これは消火士がもじられているようです。昔は逆に火を消す人でした)。モンターグはクラリスという、月や花の話をする少女と会います。少女は彼女の話をちゃんと聞いて理解するモンターグを、変わった人だと言います。昇火士っぽくない。彼女の話をちゃんと聞いてくれる人は珍しいと。普通の人は彼女の話を聞こうとしないし、理解しないそうです。このところを読んで、モンターグは本を燃やすファイアマンですが物語を愛せる人なのではないかと思いました。そして、だからこその想像の世界の豊かな表現描写だったのかなと思いました。

2、昇火士の隊長ベイティー

昇火士の隊長として本を燃やし続ける人ですが、彼の本の知識は半端じゃありませんでした。すごく博識で、本に興味を持ったこともあるようですがそれを乗り越えていて、本に惹かれるモンターグを引き戻そうとします。

ですが衝撃だったのは、のちにモンターグが気づいた、ベイティーは死にたがっていたということです。本心では、本を燃やしたくなかったのでしょうか?不思議に思っていたところで、あんなに半端ない知識を持ちながら本をいらないものとして焼き続けるところが、矛盾しているように感じられていました。本の威力を分かっていて、本を知っているからこそ、いらないと思える、また割り切れるなにか理由や出来事があったのかなとも想像しました。そのくらい昇火士としての彼の軸はゆるがなさそうに見えました。でも内心ではそうではなかったのかもと思うと彼視点の物語も妄想が膨らみます。

3、人が本を読まなくなったということ

現代にも通ずるような感じがしました。古典は読まれなくなり、人はあらすじ、ダイジェスト、分かりやすく数行でまとめたものを求める。本が禁じられたから人が読まなくなったんじゃなくて、禁じられてなくても、人は読まなくなったっていうのがすごく衝撃で、すごく面白いところだと感じました。自分もそうだと感じました。この本の世界で大半のお家にあるラウンジには、おそらくテレビのようなものが2、3面くらいあって、大音量で音楽が流れている。ニュースも自分に語り掛けるようになっていて、見た人はそれだけが真実だと思ってしまう。本だと批評的に読んだとしても。そして思考する時間は排除される。代わりに、外で体を動かせ!とスポーツが推奨された世界です。クラリスが学校の授業の話をしますが、スポーツの授業が多く感じました。

この世界で本が禁じられたのは、人はみんな似たもの同士でないといけないということ。周りと違う秀才や、本を読んで批評する人を恐れる、人びとの劣等意識から。次は自分が批評の標的にされるかもしれない、という恐怖。なんとなくわかる気がしました。考えが深い人には自分には見えていないものが見えていたり及びもつかない感じがあると、比べて自分がだめなように感じたり、批評される対象になったとしても返す言葉を持たなかったりして、「怖い」という感情に結びつくこともありそうです。私じゃかなわないやっていう劣等感が生まれます。

だから人は本を読まず、考えることをやめ、ラウンジで毎日映像を見て音楽を聴いて楽しみ、〈巻貝〉というイヤホンのようなものを耳に入れてラジオを聞き続けています。けどモンターグはそんな彼らのことを「空っぽ」だと表現します。そしてモンターグ自身も空っぽだと。けど途中、自然に触れて、空っぽではないと感じた。草原?や森、枯れ葉。においを感じ、風を感じる。自然の中で満たされた。

ただ逆に、考えることから逃げることは本当に悪いことなのか?と考えさせられたところもありました。

モンターグが詩を聞かせた女性の一人が泣いてしまったところです。心を動かされたがゆえの涙だと思いますが、彼女は傷つきもしたのかな、と思いました。現実や考えることから逃げたくなる気持ちも分かりました。楽しい日々を送ればいいじゃない、それの何がいけないの?って、女性たちから責められているようでした。いけなくない、それでいい、と言いたくなりました。本を禁止するのはきっと違うけど、やっぱり体を動かして、考えることをやめ、空虚な時間を過ごす方がいいのだろうか。それがたとえ保育園から大学を出てまた保育園に戻ると言われても。心が疲れてしまうよりはいいかもしれない?

ですが問題もあって、

泣いた彼女と一緒にいた別の女性は、堕胎をしても平気で、夫が死んでもそのことを悲しんではいなさそうでした。他にも、この世界の人々は夫婦が初めて出会ったのはどこか、という思い出も忘れてしまっています。悲しむ心を持たないことが幸せ?辛さからは逃げて、良いことも悪いことも忘れてしまうのが正解?けど心を揺らさないと、生きていない感じがきっとすると思います。やっぱり本が失われたら淋しいなぁと思いますし、大事な人とどう出会ったか忘れてしまうのもいやだなぁと思いました。ネットの記事で、スマホに依存すると現実から逃げてしまい、自分の心地よい空間にしか身を置かなくなる。すると現実世界で生きられなくなってしまうというのを読みました。逃げてばかりではいけない、けど立ち向かい続けるのも倒れてしまうかも。どちらも必要なことなのか。

モンターグの妻は、ラウンジで映像を楽しむ一人ですが、本の最初の方で、睡眠薬をたくさん飲んで意識をなくしていました。飲んだのはなぜなのか?それは本の中では示されていなかったと思います。空っぽの世界に、何か感じたのか。ですがモンターグと話している限りの彼女は、空っぽな世界を楽しみ切っているように思えました。ラウンジの壁(テレビ?)をさらに増やしたいと思っていて、〈巻貝〉は10年ずっと聞き続けています。夫といるときも聞いています。彼女とモンターグの会話はよくすれちがっていました。モンターグの言いたいことが、彼女に通じていないと感じられることがよくありました。花と月の話をしていたクラリスならきっとわかってくれただろうことだと思いました。

最後、都市が爆撃されていました。戦争のことはずっと言及されていましたが、それがこの世界とどう関わってくるか、まだいまいち捉えきれていない気がします。戦争でラウンジを失った人々にはまた本が必要になるということ?救いとなる言葉が必要になるということ。ですが結局は時が経てばまた同じように本は読まれなくなるとも示されていた気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?