6.14:04 不自由な自由
隣の部屋のエアコンが取り替えられている。空き家だったが、誰かが越してくるようだ。
どんな人かはきっとずっと分からないだろう。最近では引っ越しの挨拶もしないし、ご近所の付き合いもない。楽だけれど、心許ない部分もある。しかし、それに慣れている自分がいる。
そんな昼下がりに、ソワソワしている。
時間がたっぷりある今日、何かしなくてはいけない気がする。しかし何もする気が起きない。
何かしなくてはいけないと思う私は、評価を気にする私だ。サボっている、怠けている、そう思われたくない。
誰に?
私以外の誰かにだ。
頭ではそう考えているが、私の心は何をするのも億劫に感じている。ぼーっと過ごしていたいのだ。
働いている人がいると(例えば、隣のエアコンを取り替えている誰か)、まるで自分が責められているような気がする。同じ時間を過ごしているのに、何もしていないことに罪悪感を感じる。そんな自分が不思議でならない。何もせず、ゆったり過ごすのは罪ではないのに。どうしてこんな不自由な私になったのか。いや、私だけではないのかもしれない。
心のままに生きろと言われても、困ってしまう。
誰に何を言われても気にしないでと言われても、気にする。
あなたは自由だと言われても、不自由な思考に慣れてしまっている。
複雑だな。
だからソワソワはおさまらない。こんな事を考え続けているのだから。
一度でいいから解放された気分を存分に味わってみたいものだ。
あれ?私、今、思考することで、時間を有効に使っているのでは?
いや、この考え方が既に不自由なのかも。
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