戦争

こんなタイトルをつけながら何を書けばいいのかわからない。

遠い。あまりにも遠い。僕は日常を過ごしていて。現地の映像をぼんやり眺めながら、ある種の諦めと脱力、気怠さを抱えるのみである。

ロシア軍が、チェルノブイリに侵攻したと聞く。ウクライナという国を訪れたことはない。ただチェルノブイリの事は少しだけ知っている。東浩紀氏の著書で、原発事故後のチェルノブイリの様子や、現地で生活する人々について語られているのを読んだり、個人的にあの事故について調べていた時期もあった。

ニュースを見ながら考え、想像する。想像は時に鋭利な刃物になる。けれど想像せずにはいられなかった。

被害を受ける市民、生活が脅かされている人々、子どもたち。そして今後の情勢。NATOとロシアの全面戦争に発展してしまうのか、とか、そしたら中国はどう動くのだろう、とか色々なこと。

悲惨だと思う。世の中が、社会が。人生も。あまりにも悲惨だ。

戦争反対、と表明することを僕はしない。が、何も言わないからといって何も思っていないわけじゃない。生活の中で、せめて深い祈りを捧げようと思う。

僕の生活は砂漠である。昼はギラギラした陽に無遠慮に照らされ、ひたすらに乾き続ける。夜は寒く、灯りひとつない。暗く、深く、黒い。そんな夜に祈りたいと思う。

沢山の人が死ぬ今日を僕は生きるだろう。嘘をつき、あらゆる顔を使い分け、下手な演技をしながら今日も生きるのだろう。ただそんな気がする。

読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。