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【掌編小説】雪景色

 夕方、彼から電話があった。
「たまには外食にしようか」
「どうしたの?」
「何がだよ?」
「珍しいなぁって」
「この近くに美味しいラーメン屋があるんだよ」 「なんだぁ、ラーメンかぁ」
「嫌か?」
「ううん。何時に何処?」
「五時に迎えにいくよ。支度しといて」
「うん。待ってる」 そう言って電話を切った。

あれから二時間。
彼からは何の連絡もないまま五時を回った。
ケイタイにかけても、虚しい呼び出し音が耳に残るだけで彼とは連絡がとれない。
もう一度かけ直そうと思った、その瞬間。
けたたましくケイタイが鳴る。 電話は警察から。 その低く落ち着いた声は、交通事故にあった彼の訃報を坦々と知らせていた。
その後も何かを告げていたが、ほとんど耳に入らなかった。

 いつ電話をしたのだろう?
気がつくと、親友の裕子が呆然とする私を必死に慰めている。
彼女も目を腫らして泣いていた。
あの時、私は泣いていたのだろうか。
それから三日間の記憶がない。

 葬儀はしめやかに行われた。
灰になった彼の一部を一つ一つ箸で摘み、骨壷へと納める。
葬儀場の職員が残った灰を掻き集める。
私はそれをおもむろに掴み、口元へと運ぶ。
てのひらからこぼれた灰は喪服を汚したが、気にはかからなかった。
周りの参列者たちは騒然としたが、それも耳には入らなかった。
私はてのひらを返し、その灰をフーッと吹き飛ばした。
辺りは真っ白になり、私はその真っ白な世界の中に一人でいるかのような錯覚を覚えた。
「わぁ、綺麗 」
それが、私が覚えている最後の記憶だった。
 後日、裕子に聞いた話では、私はそのまま気を失って倒れたらしい。

「わぁ、綺麗」
「ああ、綺麗だな」
私は彼の顔を見上げた。
「なんだよ?顔になんかついてるか?」
「だってあなた…」
私は言葉を飲み込んだ。
「ううん、似合わないこと言うから」
「そうかぁ?」 そう言って、彼は頭を掻いた。 「腹、減ってないか?」
「え?」
「この近くに美味しいラーメン屋があるんだよ」 私は涙を拭おうと目に触れたが、涙は出ていなかった。
「ううん。また今度連れて行ってね」
「うん、また今度な」そう言うと、彼は真っ白な中へと消えてしまった。
目を覚ますと、私は自分の部屋のベッドに寝かされている。
隣のソファーには、泣き疲れた裕子が眠っていた。

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