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 少し寂しさ感じた時・・それはなぜなのかを感じてみた

 前にも書きましたが、行きたかった催事会場で見かけた趣味界隈の知り合いに声をかける事をしなかった・・・そしてそれは、知り合いとの世界線が重なる事がなくなったのではないか?と書きました。それを感じてみると・・・

 人と人は、必要な時期に必要な場所でその時に必要な人に出会う様に世の中の設定があるのではないか?そして互いに必要でなくなった時に自然と離れていって・・・お互いにそこにいるまたは、全くいない存在になる・・・ただの登場人物Aになるのではないか?・・・と

 僕は今は、人との出会いは必然・・・つまり設定されていて、その時点で心と心が引き寄せる設定になっているのではないかと思います。そしてお互いに必要がなくなったら離れていく・・・こうして人間関係が構築されていくのではないのか?・・・と

 だから今回の催事会場で知り合いを見かけた理由は、改めて人間関係の始まりと終焉を改めて見せられた・・・そういう感じです。そうでないのなら、まさかその催事にその知り合いを見かけるとは思わないし、しかも同じ趣味界隈の別の人にその催事会場で見かけても、こういった事を感じる事はないのではないか?つまりその知り合いをその場で見かける様に設定されていたから、その人間関係の在り方や世界線が変わっていくプロセスや設定のあり方を見せれれている感覚になりました。

 つまり、人は、心が無意識に必要な人とある場所で出会うのは、必然である事を隠す為に偶然に出会ったように見せかけていると感じています。つまり同じ趣味の集まりに行って何十人その場にいたとしても、その中で話しかけたいと思うのは、その場にいる人全員ではなく数人しかも一人二人位だと思うのです。つまり心と心を繋げれる人は少ないと考えるとその出会いは偶然を装った必然であると思います。

 そして人と人が離れていく時期もおおよそ決まっていてその時期がきたら、自然なのか喧嘩別れなのかはわかりませんが、離れていく事もまた偶然を装った必然なのだろうと思います。

 そう思うと人との出会いや別れに必要以上に感情が揺さぶられる事もなく淡々と前に進めるのではないか?と思います。

 そう思うと、この世の中の設定はゲームの様に出来ているなと思うのです。

 読んでいただきありがとうございます。


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