見出し画像

 少し寂しさを感じた瞬間・・・それを受け入れた瞬間

 ある催事に行ってきました。その催事会場で数年前から知っている人を見かけましたが、その時僕はなぜか声をかけるのをしませんでした。久しぶりに見かけたので声をかけて少しお話をしてもよかったのですが僕はそうする気がおきませんでした。知り合いも僕に気づいていないようでした。
 
 たまたま同じ日、同じ時間帯に催事会場にいる事この事がどんだけ偶然の一致なのでしょう?しかもその人が僕が興味のある催事に来るとは正直思えない人だったので猶更偶然の上に偶然が重なっているのに・・・なぜか声をかける気が起きなかったのです。

 何故なのだろう?と僕はその後考えましたが、それはもう僕の生きている世界線と知り合いの生きている世界線が重なり合う事がないのだなとわかりました。もちろん趣味界隈の人なので趣味の集まりに行けば会う事もあるでしょう・・・ふと思ったのはその趣味の集まりの場でも挨拶ぐらいはするだろうけど、必要以上に話をする事はないなと感じたのです。

 以前にその知り合いと話をした時にも、そういう考え方もあるのかと思いましたが、それと同時に僕が生きていきたい価値観のある世界線ではないなと無意識に思ったのだと思います。その辺りからもしかしたら世界線がかさなる事が難しくなったような気がします。僕自身その時思い出したのは、趣味界隈で他にも知り合いがいますが、その人ともある時を境に趣味の集まりで見かけても挨拶以外ほとんど会話をする事もしなくなった事をふと思い出しました。

 少し寂しいなとも思いましたが、僕にとっても知り合いにとってもそれがベストな状態なのではないかとも感じたのです。

 同じ趣味界隈にいても、世界線が少しズレるとその少しのズレで離れてしまう・・・そんな事もあるのだなと感じた出来事でした。

 読んでいただきありがとうございます。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?