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「牛餅キメラ」2023/11/25-11/26


これは冬の歌

季節を感じて音楽聴いてるかと言われればそんな…だけど流石にサマージャム'95を聞く回数は減る。
愛はおしゃれじゃないは大学の頃に寒さに震えながら海の近くのコンテナ(コンテナはだいたい海に近い)で派遣のバイトに向かった事を思い出すという、私の思い出すぎる理由で冬に選出。
どうもちょっと冬から逃げたい気持ちが選曲に出ている。



11/25

自転車漕いでたら駅に近づくにつれて音楽が聞こえてきた。クリスマスの音楽が流れている。実家が都会すぎてビルしかないので、今住んでる町はすごく生活生活していて新鮮。町がスーパーみたい。
お笑いライブから遠いけどこれから引っ越すチャンスがあっても、この辺がいいと今は思ってる。全然大阪に帰る可能性もある。兄弟とか見たいし今はあんまり帰りたくないけど。
クリスマスの音楽って悲しくなるのであまり好きではない。冬の暗さも相まってどうしようもない気持ちになる。落ち込む。なんかどの曲も讃美歌っぽいからかもしれないと思っている。
けど好きな服はだいたい冬服なので楽しくもある。あったかいものをおいしいと思える。鍋が好きなので。春って季節としてなさすぎて春を好きと言えない。春って始まりと終わりが同時すぎる。まだ秋の方が期待できる。秋が好きです。
始まりは終わりだと思っているから、楽しいことが始まる前は終わった…と思うし嫌なことが始まる時も終わった!!!!と思う。修学旅行の時も嫌すぎて集合した空港でもうおわりや♪と喜んでいた。こんな友達嫌すぎる。でも自分の思考とうまく付き合っててすごいかも。
相手のことを考えて文章を書いたり話すことがとても苦手で今の人生の課題、ここにある。
主語がすぐに抜けちゃう。自分の脳内で会話進めてしまってるから。分かってるけど対話ってラグがないから考える時間がない。のちのちこうしたらよかったなと思うけど実践できてる気はしない。みんなどうしてんの?

今日は西荻窪で2麺(ツーメン)
夜ご飯と夜ご飯。
住んでないし近くもないのに一番ご飯食べてる町、西荻窪。

店員さんが皿を引く時に服にソースがついちゃったけど普段からよくこぼすからいつものことと思って処理してしまった。逆に怒ってるみたいに見えたかも。

クリームソースなんだけどチーズが強くておいしかった‼️次も行く‼️
戻って入ったラーメン。
おじさんたちが小学生サッカーの話をしてた。
フォロワーの新たな一面も。

私は牛と餅のキメラ、うしもっちを所持しています。机に出していたら店員さんが牛と蛇のキメラと勘違いしてておもしろかった。かわいいと思って…とめちゃくちゃ謝ってた。私も牛と蛇のキメラでも嬉しいです!と返しました。

11/26

昨日作った鶏のおかゆを食べました。スープのはずが米を入れすぎておかゆに。炊飯器開けたられんこんが赤くなってて、え!?!?!?終わり!?!?と焦った。調べたら全然大丈夫!って書いてた。
昼なのにとても暗い。暗さで一日を把握しがちだからまだ11時なのにもう16時か。と諦めそうになりました。11時の夏の明るさを思い出して準備しながらラテ欄を見る。

チェキの話、意外だった。
消費が早い話、ごめんな!という気持ちといや私もいいとは思ってないんすよ…という気持ちになった。
好きなものを選んで大事にしていくのって自分にもおそらく作っている側に対しても誠意があって健康的だと思う。
けど、お笑いって日々いろんなおもしろいことが起きている。おもしろいのが好きでお笑いを見ているのだからできるだけ逃したくない。ひとつこぼさず自分の耳にいれたい。無理だけど限りなく満点に近づけたくて、さまざまなものに手をつけてどんどん消費していくペースが早くなっていく。
消費する側としても早く消費することはより"消費"を感じてしまって、え〜"消費"してんな〜と精神がすり減る。これは私だけかもしれない。
けど(またけどって言います)私はお笑いに関して、さまざまなものを見て聞いてる人こそ自然な姿だとも思ってる。"お笑い"が好きなら。
お笑いを好きになるまでは無意味に写真とか撮るとかしてなかった。もしかして、私は消費する罪悪感からなんか発信することで帳尻を合わせているのでは…???全く合ってないけど!!無意識に!?
私は逃げるために図書館とかフリーマーケットとかに行くのかもしれない。逃げのフリマ。フリマも消費。
これからも考えていきたい大事な話だなと思いました。ポイモロ3の感想といい、兄弟に脳みそを使わないと書けない文章を書かされる機会が多いな。そろそろ文章力が上がりそう。

家の近くの図書館、すごい広いわけじゃないので蔵書数も多いわけではないけど新しい本もたくさんあったいい図書館でした。
読書ブースにたくさん学生と思わしき人たちがいて、なんでだろうと思ったけど受験か(テストかも)と思いつきました。
受験を控えている人って当然いて、でも自分にとって終わった話なのでついそういう人もいることを忘れてしまう。私の後も生まれてきてる人がいるんだと赤ちゃんとか見るとびっくりする。当然なんだけど。

私の命はスマホが握っていると言っても過言ではない(本当に)ので、充電が切れて呆然。とりあえず充電器レンタルを探すためにコンビニを彷徨う。1時間前の私がミスドでダラダラさえしなければこんなことには…三枝先生を帰ってから読めば…とは思わなかった。おいしかったし面白かったし、借りればいいから。

市川春子の本、実家に置いてきてしまってどうしても読みたくなって買おうとしたら買ってなかった三枝先生を見つけた。132円で読めるの〜!?
宝石の国もいいけど私は圧倒的に市川春子の短編が大好きです。

チャージスポット(以降チャースポ)には充電するコードがついていて、以前感動した。"終わった人"にも優しいんだ。と思った。知識があるってこんなに人を強くするんだと思った。しかし、コンビニなどに置いている小さな機械には付いていなかった。コードがついてるのは大きい機械だけ、もしかしたら天満橋のチャースポだけだったのかもしれない。
駅の建物のインフォメーションのお姉さんにデカいチャースポはないか聞いても案の定なく、どうしよう…と思ってたら下のスリーコインズ とか買っていただくしか…と言われてその手があったか!!!と助かりました。人間って1人より2人の方がいいですね。知恵的に。
私の予備充電器は大学生の頃に買って、もう5年以上使っているので振るとシャカシャカ鳴る。なんかが終わっているので爆発する前に買えて良かったです。
図書館で本は借りれないし、カービィ餅を買い損ねているし、デカい施設(イオンみたいなやつ)で自転車どこに置いたか分からなくなり迷子になるし電池無くなって1時間以上彷徨うあんまり良くない日だった。でも、こういうことが茶飯事なのでいちいち感情で処理してたら果てしなさすぎていつの間にか強くなってた。

一個ではやはりお皿に置いてもらえない。


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