「そうではない」ことのデザイン - Anti-Progressive Design

デザインとは破壊である

Cameron Tonkinwiseは、デザインとは端的に言って、「破壊」なのだと述べている。

どういう意味か?

なにか新しいものを生み出すということは、本来そこで使われていたものを「捨てさせる」ということである。それは単にモノだけを指す場合もあるが、それは実はモノだけではなくて、モノを含む「ネットワーク」全体を含んでいることもある。

例えば、トースターについて考えてみよう。

トースターというモノが普及するということは、同時に、それを取り巻く「トーストのある生活」全体をも意味しているのだ。…と、社会学者Harvey Molotchは述べている。(「トースターが、あるネットワークを意味している」という意味でいえば、トーマス・トウェイツの「ゼロからトースターを作ってみた結果(原題:The Toaster Project: Or a Heroic Attempt to Build a Simple Electric Appliance from Scratch)」も示唆的だ。)

そう、トースターを置き換えるデザインは、トーストのある生活全体を「破壊する」ということだ。

それはもちろん、習慣や文化、感覚みたいなところにもつながってくる。例えばトースターが将来、なにかよくわからないが、全く別のものに置き換えられてしまった場合--例えば仮に自動的にバターを塗ってくれるような機械を想像してみると、その未来ではあの「パンが熱いうちに、急いでバターをパンに塗る」だとか、「バターが溶けていく瞬間のたまらないかおり」みたいな、文化や感覚もまた、破壊されてしまうことになる。

そう、デザインとは、本質的に破壊を意味するのである。

ハーバート・サイモンの(めちゃくちゃ)有名な言葉に、以下のようなものがある。

「現状をより好ましいものに変えるための行動を提案する人は、誰でもデザインをしているのだ」
"everyone designs who devises courses of action aimed at changing existing situations into preferred ones" 
- Herbert Simon (1969) 

それをあざわらうように、トンキンワイズはこう述べる。

「デザイナーは、現状をより好ましいものに変えるのではない。デザイナーは、現状をより好ましいもので置き換えることによって、いま存在しているものを、”破壊”しているのだ」
"Designers do not change existing situations into preferred ones; they destroy what currently exits by replacing it with a preferable one. "
- Tonkinwise (2018)

いかに適切に「破壊」できるだろうか

しかし、ではどうすればこの「破壊」を適切に活用できるだろうか?

ここでTonkinwiseは、de Witらによる「Innovation Junction」を引く。Innovation Junctionとは、例えるなら人生の転換期のこと。大学進学のために東京へ行く、だとか。会社の転勤で引っ越しする、だとか。取り巻く環境自体がまるっと変わってしまって、日常を再構成せざるをえないような、「全く異なる価値観」を受け入れざるをえないようなジャンクションが「Innovation Junction」だ。ほかにも、地震などの大災害などもそうだ。

このイノベーション・ジャンクションとは、要するに「破壊」である。こういう(いわば祝祭やイニシエーション的な)変化が社会の大きな変化を生み出すというのならば、そうした破壊を、いかに、狙って、正しく起こしていけるか。それがデザイナーの役割なのではないか。

そこでTonkinwiseが破壊の対象とするのが、サッチャーのあの「There is no alternative」である。すなわち、私たちデザイナーが不可避的に破壊しなければならないというのならば、「それ以外の選択肢はない」と思い込んでいる私たちの信念こそ、破壊すべきではないのだろうか、とTonkinwiseは問いかけるのである。

そうであるならば、デザインは当然、「進歩 progress」であってはならないことになる。…「進歩」するならば、それは「それ以外の選択肢はない」という信念の枠組みの中に既にはまり込んでしまっているからである。私たちが試みるべきは、「私たちは進歩しつづけるのだ」という支配的な感覚の破壊なのだ。

しかし、デザインしているのに、進歩だと思われないようにするにはどうしたらいいのか?そんなことは可能なのだろうか?

Anti Progressive Design

思いがけず、Tonkinwiseの主張はこの時代にシンプルで、使い古されたもののように見える。すなわち、彼は「過去へ戻れ」と主張するのである。

デザイナーは「破壊」してきた。そうであるならば当然、過去に向かうデザインは、「破壊を破壊する行為」…すなわち「破壊されてしまったものを回復していく」ことを意味している。これが、彼がこの章を「Anti-progressive Design」と名付ける所以である。

しかしここで彼は「みんなで全てを過去に戻そう!」と主張しているわけではない。

資本主義は、実はあいまいな全体である。そのなかには当然(例えば「今の日本にも、持続可能性に基づく実践ってあるじゃん」と誰かが言うように)、持続可能なものもある。そして、そうではないものもある。

そうであるならば、私たちのタスクは2つあるのである。

・非持続可能性を引き起こしているポイントを特定し、それを元に戻すこと
・持続的なポイントを特定し、それを増幅すること(Tony Fry)

I prefer not to 否定形のデザイン

Tonkinwiseは、Occupy Movementへの補助線となった、Herman Melvilleによる短編小説「Bartleby, the Scrivener」に出てくる言葉「I would prefer not to できればそうしたくないのですが」を引く。

いわばこの運動は、そうしたくない I prefer not to ことのデザイン、つまり「否定形のデザイン」なのである。

"I am designing toward futures in which it is possible not to prefer all of those defuturing advancements, in which progress toward these kinds of futures no longer seems fated."
「私はこれら全ての非-未来的な進歩を好まないことが可能な未来、これらの種類の未来への進歩がもはや運命づけられていないような未来へとデザインしている」
"I am designing the destruction of the necessity of finding progress preferable."
「私は、進歩を好ましいと考える、その必然性の破壊をデザインしているのである。」


de Wit, O., van den Ende, J., Schot, J., & van Oost, E. (2002). Innovation Junctions: Office Technologies in the Netherlands, 1880-1980. Technology and Culture, 43(1), 50–72.

Molotch, H. (2004). Where Stuff Comes From: How Toasters, Toilets, Cars, Computers and Many Other Things Come To Be As They Are. Routledge.

Simon, H. A. (2019). The sciences of the artificial. MIT Press.

Thwaites, T. (2011). The Toaster Project: Or a Heroic Attempt to Build a Simple Electric Appliance from Scratch. Chronicle Books.

Tonkinwise, C. (2018). I prefer not to: Anti-progressive designing. Undesign: Critical Practices at the Intersection of Art and Design. https://opus.lib.uts.edu.au/handle/10453/133780 

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