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ある共感覚(色字)持ちに、世界はどう見えているのか

僕はどうやら共感覚持ちというらしい。

共感覚とは以下のようなもの。

ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。-wikipedia

僕の共感覚はその中でも「文字を見ると色が見える」というもの。例えば僕の場合、「Aは赤」、「Bは深い青」、「Cはクリーム色」に見えます。

これを共感覚のなかでも特に「色字」といい、どうやら共感覚の中で、最も人口が多いそうです。

そんな共感覚(色字)持ちから見える世界ってどんな世界なのかを記録しておこうと思いたち、記事を書いています。

1.そもそも、文字はどんな風に見えているの?

こんな風に見えています。

まずはひらがな。

01平仮名_2_01

続いて、アルファベットと数字です。

01平仮名_2_02

とめどなくなるのでここでは書き出しませんが、カタカナや漢字にも色がついています。

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つまり、「ある共感覚持ちに、世界はどう見えているのか」という文章は、こんな風に見えます。

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僕の共感覚(色字)の見え方について、4点補足しておきたいと思います。

①見ての通り、ひらがなは少し薄い色味です。特に文章の中では、彩度が落ちるなどして、相当印象が薄くなります。アルファベット、数字、簡単な漢字は色味がかなり強いです。

②色は、頭の文字の色や、目立つ色に引っ張られます。

英語はほとんど接頭辞などに引っ張られて、母音はほとんど色が消えます。例えばLOVEはほとんど「L」のピンクの色になります。

漢字とひらがなが並ぶと漢字の色に引っ張られます。「走る」は走=黄緑色だし(は/hと同じ色です)、「泳ぐ」は泳=水色です。

③声で聞くのと文字で見るのも少し違っていて、僕の場合は文字情報のほうがすごく印象が強いです。

④ちなみに、「毎日、常に色の洪水なのか」と言われると、そんなことはありません。

基本的に、色は「その瞬間に目で追っている1文字」にのみついています。かつ、頭の中に文字が入ってくるとき、うっすらその裏に色情報がくっついている、くらいの印象。でも、「意識しよう!」と思った瞬間、どぱっと色情報が流れ込んでくるような感じです。

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2.なんでその色に見えるの?(なぜ共感覚になったの?)

なぜ僕は共感覚になったのでしょうか?

これはもちろん推測でしかないのですが、「経験をパターン化していった結果こうなった(=抽象化した結果)」のかな〜、と思っています。

「経験をパターン化する」とは、どういうことか。3つの例をあげて説明したいと思います。

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2-1.共感覚とは「経験のパターン化」である

例1) 1組は赤色、2組は青色、3組は黄色

例えば数字を例にとると、小学校のころ、

「1組は赤色、2組は青色、3組は黄色」

みたいな分け方がありませんでしたか?

僕の「1=赤,2=青,3=緑」の色味は、完全にその影響を受けているようです。

例2) E=エスパー/超能力=紫

次に分かりやすい例でいうと「E」って絶対紫色に見えるんです。

このEって

「エスパーのE」

なんですよね。

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エスパー的なものって、テレビやゲームなどで昔から「紫色」のイメージで扱われてきたイメージありませんか?(個人的な意味では非常にポケモンの影響が強いと思っています。ちなみにイラストは「中二病の女の子が自分で考えたかっこいいポーズを取っているイラスト」)

こうした、「E=エスパー」のイメージによって、Eと紫色とが結びついているのでしょう。その結果かもしれませんが、僕にはエスパーの「え」、超能力の「超」も紫色に見えます。

(ちなみにそのE=超能力/エスパーのイメージ自体は正しい認識なのかなと思っています。Earth, End, Enigma, Eternal, Extremeなど、「E」って未知で謎めいた印象を持つ文字なんだな〜と感じます。)

LOVEの「L」がピンクに見えるのも、しろの「し」が白色に見えるのも、同じようなことが起きているよう。(そういう意味では、「R」と「らりるれろ」、「T」と「たちつてと」、「M」と「まみむめも」などが同系色なのは、それぞれ同じような原因があるのかもしれません)

例3)社会はクリーム色である。社会はCo性を含んでいる。よってCoはクリーム色である。

わかりにくい例ですが、「C」がクリーム色に見える理由は興味深いと思います。

Cって、すごく「社会」っぽいんですよね。「コミュニティ」「コミュニケーション」「コラボレーション」「コーポレーション」…etc。

そして、「社会」ってクリーム色じゃないですか?(突然)

…ちなみに、なんで社会がクリーム色に見えるのか、については理由が2つあると思っています。

ひとつは社会って「人と人との関係性」なので、人っぽい色=肌色、クリーム色に見えているという説。

もうひとつは、小学生のときに配られた社会のファイルがクリーム色だったというものです。

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これです。

当時は赤が国語で、水色が算数で、クリーム色が社会で、黄緑色が理科で、紫色が英語でしたよね。

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こういった経験を通じて、「社会」と「クリーム色」と「Community」「Communication」といった単語が無意識にひも付きあって、「C」がクリーム色に見えているのではないかと推測しています。

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2−2.共感覚は文字・情報・色の結びつきだ

つまり共感覚(色字)というのは、あくまで僕の場合、ただ「ある文字に、てんで無関係な色がついている」わけじゃない。

これまで生きてきた中で触れてきた文字、景色、情報、声…これらを無意識に分類していった結果、「文字」↔「情報」↔「色」とが自然に結びついて、文字に色がつくようになったのだと感じています。

ちなみに、この共感覚(色字)は、小さい頃(〜小2頃?)の経験・記憶によって引き起こされているようです。もう少し後になってから覚えた難しい漢字には、ほとんど色はありません(文字のまま黒に見えます)。

つまり共感覚(色字)というのは、小さいころから、自然、音楽、芸術、そして言葉にたくさん触れさせてもらってきた結果として起こったことなのかなあ、と漠然と感じています。

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3.共感覚(色字)って、何かいいことあるの?

共感覚(色字)って、なにかいいことがあるんでしょうか?

あります。

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3−1.メリット→言葉を覚えられる

まずなにより、「言葉、めっちゃ覚えられる」です。

例えば、僕は「c」と「s」をほとんど間違えたことがありません。

例えばSpecial、Center、Ocean、…こうした単語って、「cなのにシとかセって読む」から、中学生・高校生くらいの頃って結構間違えてしまうんですよね。(「Spesial」とか「Senter」って書いてしまったことありませんか?)

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僕はそれが起こりにくくて、なぜかといえば「色が違う」から。Sは水色、Cはクリーム色で、つまり全然違うのです。全然違う。Senter」と書いているときは、なんだか人の肌の色を水色で塗っているときのような気持ち悪さがあります。

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あと、数字を覚えることや、人の名前(特に漢字)を覚えることも得意です。人の名前は結構色の印象で覚えてます。基本的には漢字のほうが印象が強いので、漢字で覚えてます。

綺麗な色の名前の人、好きです。

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3-2.デメリット→日本語/英語の色が違うと間違える

一方で、デメリットもあります。

例えば、名前を(読み/音ではなく)漢字と色で覚えているので、「隈研吾」さんが「くま」なのか「すみ」なのかずっと覚えられません(正しくは、ぱっと出てきません)。「隈」も「隅」も、どちらも深いクリーム色で、色が似てるんですよね。

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あと、非常に困ってしまうのが、たまに「日本語と英語の色が真逆」というケースがあること。

例えば、本当に間違えてしまうのが東と西

東はオレンジ色。Eastは、Eが卓越=紫色。
西は青色。Westは、Wが卓越=オレンジ色なんです。

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色が!!色が逆なんですけど!!!

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4.共感覚の世界で、日々感じていること

共感覚で毎日を過ごしていると、色々と思うことがあったりします。

以下、僕はこれを言語学のバックグラウンドをもって推測しているわけではないので、これはほんとに、詳しい方に色々教えてほしい!

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4−1.名前と色

やっぱりいい色の名前の人は、目を惹かれます。

適当に書きますが、「川岡桜(水色、肌色、ピンク)」や「横井美里(緑、赤、ピンク、水色)」など、すごいカラフルです。やはり自然界をバックグラウンドに持つ漢字はその色(桜=ピンクなど)をしてます。

男の人の名前は、やっぱりと言うべきか、なぜかと言うべきなのか、少し黒っぽい名前の人が多い気がします。「翔」「義」「宏」「正」「博」「貴」などはどれも僕にとっては色味のない文字で(=概念的な漢字、とでもいうのでしょうか)、ちょっと黒っぽい印象なのです。

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また、実はすごく大きな違いがあるなと思うのが、名前のローマ字表記。つまり、「RとL」「KとC」のどちらを使うか、です。

Rは青、Lはピンク。
Kは黒、Cはクリーム色。

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つまり、例えばちびまる子ちゃんが、「MARKO」と書くのか、「MALCO」と書くのかで、(僕にとっては)全然印象が違うわけです。

MARKOは、がっしりした印象を受けます。ちなみにマルコ・ポーロはMARCOですね。

※子音と母音とでは子音が卓越するため、AとOは薄くしてあります。リアルな見え方では、もっと母音の印象は薄いです。またOのような白い文字は、常に白というよりは白-黒は自由に入れ替わるイメージです。

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4−2.ブランド名と色

また、これは僕の共感覚の話なので、本当に主観的な感想になっちゃうわけなのですが、ブランド名の色と、ブランドのカラーとが合っていないと、おお!?、という印象を受けます。

例えば、初めて見たときにびっくりしたのは、Cath Kidston。

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Cath Kidstonって、すごくクリーム色が卓越した名前なんです。実際のロゴのようなカラーは、本当に最後の「n」くらいにしか出てこない。ので、最初に見たとき、ものすごい違和感でした。

これは、僕は良い悪いを言おうとしているのではなくて、このCath Kidstonのロゴは「すごく違和感がある」し、だからこそ「それくらい心に残っている」ともいえる。

僕はこのロゴを初めて見たのは7,8年前のこと。それ以来ずっと覚えているくらい、ものすごい違和感だったのです。

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4-3.言語を超えた、色と意味の一致

言語を超えて、「同一色」は「同一の意味」を有しているような気がします。

自分で同じ印象のものを分類して着色しているので、当たり前といえば当たり前なんですが。

以下、非常に主観的なバイアスがかかっているとも感じるので、眉唾程度に聞いていただければと思います。

例えば、「日本語のや行」「英語のf」は、同じ、ぼうっとした緑色をしています。霧の中を暗中模索するようなイメージの言葉だなと感じています。つまり、「宵」「闇」「夕」「夜」「酔」と「forest」「fear」「fall」「fantom」「fog」などは同じようなスタンスにある言葉のように思われるわけです。ちょっとこじつけすぎでしょうか。

また「C」に関する項目で触れましたが、「社会」「関係性」「地域」「手」「仲間」といった言葉は、いずれもクリーム色から茶色の領域の言葉です。

それに対応するのが「C」(というか接頭辞としての「Co/Con」)で、「Community」「Cooperation」「Communication」「Contribution」「Constituion」など、印象として近しい意味合いの言葉が多いような気がします。

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個人的に面白いなと思っているのは、「S=水色」は、言語を超えて共通です。絶対シュッとしてるの。これはもうきっと「S」の本質。間違いない。

「洗練」「新鮮」「瀟洒」「精緻」「洒脱」「静謐」「清冽」「瞬間」「清楚」「しゅっと」「刺す」「おしゃれ」

「sophisticated」「smart」「fresh」「stylish」「sea」

…といいながら、気になるのは、これが日本語/英語以外でもそうのかっていうことです。だんだん、日本語がs音豊富なだけっていう気がしてきた。中国語やアフリカの言葉では、どんな風になっているんだろう。

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4−4.日本の言葉と漢字の関係

一方、日本語のなかで色と意味とがばらばらになってしまっているケースは、不思議と多々あります。

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4-4-1.ま行/Mは、オレンジか、緑か?

例えば、「森」「mori」「もり」は、色が本当にばらばらです。

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森は緑ですが、Mはオレンジ色。単純に「もり」と耳で聞くと、緑なのかオレンジなのか、よくわからなくなります。同じ「もり」という響でも、「盛」「杜」などは、M寄りの色をしているように思われます。

「もり」「みどり」「やま」に全て「ま行」が含まれているのは偶然ではないような気もします。一方で、「ま行」は本当にオレンジ寄りのイメージを持っていて、「真」「間」「見」「目」といった言葉、いずれもオレンジに近い色をしています。

昔々、森や山はオレンジ色だったのでしょうか?

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4-4-2.音読みと日本語のイメージのずれ

僕がどうしても許せないことがこれです。笑

例えば、「家族」や「結婚」。 

家は赤、結は緑と、やや濃ゆいですが、なんとなく確かにそんな感じのイメージな気がします。しかし、これが音読みになると、突然色を失うのです。「KAZOKU」「KEKKON」て。

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子音だけ見れば、ほぼ真っ黒といっても過言ではない。「いえ」とか「ゆわえる」みたいな言葉が、なぜ「KAZOKU」「KEKKON」になったのか!?

絶対そういう感じじゃないじゃん!!!

これは中国語が悪いなんていう気は毛頭なくて、「結婚」は「婚姻(Hūnyīn)」だし、「家族」は「家庭(Jiātíng)」だそうです(google翻訳より)。

全然Kじゃないじゃん!!!

こればっかりは謎です。とはいえ、僕自身も家族や結婚の"音"を考えるときに「ひらがな」じゃなくて「ローマ字」に変換してしまうのは不思議だなあ。ひらがなだったらもう少し黄色い雰囲気ですね。

そういう、「音読みになったことで失われた色味」が、日本語には本当にたくさんあるんだろうなと思っています。もしかしたら、どんな言語もそうなのかもしれませんが。

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5.最後に

ここまで、僕が見ている共感覚(色字)の世界を紹介してきました。

僕が向き合う「文字」の世界は、真っ黒で無味乾燥としたものではなくて、色彩豊かでわくわくする世界なのです。共感覚でよかったなあと思う。

気に入っています。

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ちなみに僕は、先日まで自分の塾をやっていました。その名前は「ハルキャンパス/HAL CAMPUS」といいます。

どうしてその名前にしたの?とたまに聞かれるのですが、色が大好きだったからです。

「HALCAMPUS」は黄緑と桃色と黄色がはじけたような色をしています。
一面の野原、桜、菜の花。浮き足だつ、あるいは春の木漏れ日のような。そんな春のあふれて包みむような優しさを、まるごと写し取ったような言葉のいろ。それが僕にとってのHALCAMPUSなのでした。(「ハルキャンパスを、しめました。」

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質問したいことがあれば、質問してくださって構いません。

また、自分の名前の色を聞きたいときは、また声かけてくださいね。笑


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