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サーキュラーエコノミーとデザイン:安居昭博さんの話を聞いて書く

安居昭博さんが越前鯖江デザイン経営スクールのセミナー講師として鯖江にきてくれて、サーキュラーエコノミーの講演をしてくれた。

「ここちよい近さがまちを変える」や「Things we could design」を翻訳しながら安居さんの話を聞いてみると、サーキュラーエコノミー(CE)が急速に僕の考える意味での〈デザイン〉に接近するような気がして、とてもおもしろく聞いていた。より具体的に言えば、網の目を引き受けるようなデザインのあり方の具体的な実践として、サーキュラーエコノミー的な領域へとデザインはいざなわれているのかもしれないと思った。

思ったことは以下の三つ。

1) CEは(森の言う意味での)デザイン的である。そしてそれゆえに 2) CEは極めてローカル的であり、そして 3) CEもデザイナーも、その意味でメディエーターとしての役割を要請される。それぞれ説明したいと思う。


サーキュラーエコノミーとデザイン

CEはやはり、とても〈デザイン的〉だ。

僕はデザインを、全方位的に広がる網の目を引き受けていく実践だと捉えている。サーキュラーエコノミーを"する"ということは、まさにこの、網の目を引き受けていくことを必要とする。より正しく言えば、網の目を引き受けなければ、サーキュラーエコノミーは実現できない

どういうことか。このことを説明するためには、サーキュラーエコノミーは、難しい、ということについて考えてみなければならない。

サーキュラーエコノミーはむずかしい

サーキュラーエコノミーは、単一で線形的な問題-解決のパラダイムでは乗り越えることができない分野の代表格である。例えば、建設業界を例について考えてみよう。フィンランドでももちろん、CEの実験は多々試みられている。しかしながら、CE的に興味深い実験はいまも、行政や大学での実証実験レベルにとどまっているのが正直なところだ。持続可能性についておそろしく先をいっている(ように思われている)フィンランドでさえ、このようである。なぜか。

CEとはそもそも簡単にいえば、「サイクルをまわす」ということにその要点がある。つまり、これまで廃棄されていたものを、次の生産へと還流させればいいわけだ。「建設業界でCEを実現する」ためには、設計-素材開発-調達-建設-解体といったフェーズに対して、最後の「解体」で出てきた材を、次の「建設」につなげてあげればいいわけだ。

しかしこれは、単に、建物を解体した廃材を、別の建物に使えばいい、という話ではない

まず、「ビルを解体する」ということについて考えてみよう。そもそも、ビルの解体は、解体した資材を次に使えるようにするという前提にはなっていない。基本的には壁をぶち抜いて、次々にぶっこわしながら進んでいく。資材を次に使えるようにするためには、ひとつひとつの部材をそっと外し、丁寧に下におろし、それをどこかにためていく必要がある。そういうノウハウなんて、基本的には存在していない。なぜなら、そんなことをしていては、これまでのぶっ壊して片付けるというやり方に比べて、おそろしいほどの時間がかかってしまうからだ。

とはいえ、これについては解体事業という業界内での問題で、実は大きな問題ではない。上記の丁寧な解体がうまくいくとしよう。このとき生じる最たる問題は、その部材を、どこに運び、どこに置いておき、どのビルの建築に使うのか。その調整である。これが考えてみるに、ほとんど不可能なのだ。

解体した資材を、例えば別の国に運んでいるようでは(運搬にかかるCO2排出量を考えれば)意味がない。それゆえ、解体で出てきた資材は、比較的近接した地域で建てられる、別のビルに活用することが前提になる。しかし、一棟のビルを解体して出てきた資材なんて、どれだけの量になるだろうか?考えてみるだに、想像を絶する量である。それゆえ、解体した資材が、別のビルの建設現場に直接持ち込まれることが理想的なフローになる。そこまでいかなくとも、一時的に近接した空き地に資材を置き、なるべく短い時間に次の現場に持ち込むことが必要になる。ここではじめて、解体と建設とが連絡することになる

しかし、ここで考えてもみよう。上記を実現するためのフローは簡単に見積もっても以下のようになる。

  1. 「あるビルAの建設が計画されている」

  2. 「その近くに、解体が計画されているビルBがある」

  3. 「ビルAの建設計画において、ビルBから出される部材を利用できるような設計が行われる」

  4. 「ビルBの解体計画とビルAの建設計画を連動させ、ビルBの解体現場から、比較的短時間の間にビルAの建設現場に資材を運搬させる」

まずもって、ビルAの建設とビルBの解体が、運良く近しいタイミングで発生しなければならない。しかし、ビルAで建設を行う建築チーム(つまりデベロッパーや建設事業者、地区のメンバーなど)は、普通に考えて、全く別の地主たちが保有しているビルBの解体の話など、当然知っているわけがない。建設も解体も、これまで、その事業者同士のあいだで連絡など行われることはなかった。それぞれ勝手に進むのだ。

それゆえ、これらを連動させるには、例えばあいだに行政が入るなどして、建設や解体の届け出をつなぐ必要がある。さらにいえば、その建設計画や解体計画は、解体で出てくる資材を建設プランに反映できるよう、建設/解体が起こるめちゃくちゃ前に―例えば5年以上前に―提出されている必要がある。さらにいえば、ビルBの部材が全てビルAに転用できるわけではない。つまり、解体されるビルBやビルQの部材が、ビルA、ビルP、ビルXといった、さまざまな他のビルの建設に転用されることになる。そのすべての解体/建設計画をつなぐことが必要になる。

さらに、仮に上記が実現されたとして、ビルAのデベロッパーが、これまでその近隣地域に建っていたビルBと同じ部材を使うことを受け入れなければならない。ふつう、それをよしと思わない建築家/デベロッパーが多いことは、想像に難くないだろう。部材には思想が宿っている。同じ地域に建っていた別のビルから借り受けた部材をそのまま使うことは、その基準にビルの建設が縛られるということだ。その意味でも、解体で出てきた部材を建設に転用することは現実的ではない……。

端的にいおう。サーキュラーエコノミーはむずかしい。そして、サーキュラーエコノミーを"する"とは、こうした異なる論理で動く、全く異なる事業者たちの、すべてに関わりを持ちまとめあげる、常軌を逸した努力を必要とする行為なのだ

サーキュラーエコノミーとデザイン

しかし、それこそがいま、デザインなるものが我々に要請する役割である。

アン=マリー・ウィリスが提唱した「存在論的デザイン」は、私の行為はあなたを、携帯を、大地を揺さぶるのであり、それが翻って私自身をも揺さぶるのだ、と論じていた。そこにあったのは、私とあなたとの相互依存性が、どこまでも広がるような網の目としての存在論であった。

その抽象的なレベルでの存在論を、スペキュラティブながら経験論的に議論し接地させようとしたロン・ワッカリーは著「Things we could design」のなかで、デザインするという行為において「協議体 constituency」を構成することを提案する。協議体とは、実際にデザインという行為が発生するまえに、その影響を受ける可能性のある、語るべき言葉を持つ人間・非人間たちを招集し、デザイン行為を「議論する」場のことだ。

この語を使うことでワッカリーが伝えようとしていたのは、デザイナーはその政治倫理的領域において、誰が/何がそこに参加しているべきなのか、誰が/何が何を語ろうとしているのかを引き受け、その説明責任 accountability を負わなければならないということである。

もちろん、すべてを見通すことは叶わない。それでも私たちは、影響を受ける可能な限り多くの人間や非人間たちがあつまる「集い」を形成し、彼ら/それらがもつ懸念や関心、ケアの問題がきちんと可視化され、言語化され、議論されるようにする責任を負っている。

ワッカリーは、もうひとつ「経歴書 biography」という言葉を用いている。これは、私のデザイン履歴は、デザインされた対象となるモノと一緒に、ある経歴書に刻みこまれるということを意味している。生み出したモノが誰かや何かを傷つけたり―例えば海へと飛び出したプラスチックごみが、ウミガメの口を覆ったり―するとき、私は確かにそのデザインしたモノに対して、説明責任を負っているのである。このことをワッカリーは端的に、経歴書という考えは、デザイナーに説明責任を負わせようとするもの、そしてデザイナーがモノの終わりについて思いを馳せるようにしようとするものだと述べている。

こうして考えてみれば、サーキュラーエコノミーの実践とは、このようにモノの終わりを引き受けながら、「協議体」に多様なアクターを集め、その議論を引き受けていくことに他ならない。当然、サーキュラーエコノミーはその「環境的」な視座を中心に据えていることは明らかだが、それは既存の問題-解決パラダイムに対して、根本的に異なる存在論を前提として、それらの経験論的介入を探る実践領域だと言えるのである。このような意味で、CEはとても「デザイン的」なものだと僕は思う。

サーキュラーエコノミーとローカリティ

そもそも、サーキュラーエコノミーはローカル的で近接的 proximate なものである。この意味は簡単で、あるものを輸出/輸入したりしていては、そもそも単純に環境によくないからだ。それゆえ、いわゆる「地産地消」的な考えが前景化する。サーキュラーは、近接地域 proximity でやるから、持続可能性に寄与するのだ。このことは、エツィオ・マンズィーニが「ここちよい近さがまちを変える」で、我々が近接の都市を目指すべき重要な理由のひとつとして指摘していた点でもある。

そしてこれはまた、サーキュラーエコノミーが(上記で述べた「網の目」的な意味で多様なものたちをつなげているのと全く同じ意味で、しかしより具体的な意味で)ローカリティの全体性に接続されているということを意味してもいる(ここでのローカリティとは、僕の普段の使い方とは違って、より空間的な、近接的な意味に偏っている)。

もちろん、サーキュラーエコノミーが地域的(田舎-都市的二項対立の田舎、という意味ではない)なものに関与しているものばかりではないことは十分に理解している。例えば今日安居さんが話していたように、月額制の衣服のレンタルモデルなどは、サーキュラーエコノミー的なビジネスモデルの代表格と言えるかもしれない。しかしここで述べているのは、より地域と不可分になった(上記に述べた建設のような)サーキュラーエコノミーのことである。

安居さんの話でやっぱり一番おもしろいなと思うのは、サーキュラーエコノミーの実践は、環境に、教育に、福祉に、あるいはすべてに接続されるのだということ。より経験的に引き寄せていえば、コンポストを維持する営みが、人々が集い、会話し、議論し、新たなプロジェクトやコミュニティが生まれるきっかけになっている。循環フェスは、古着が持ち寄られ、交換され、ニーズを可視化し、さらには地域の布団屋さんが持ち込まれた布団を手直しするという新たな気づきを得て、それを実践してみるイネーブラとしても機能している。つまりCEはここで、マンズィーニのいう「関係的オブジェクト」になっているのだ。このとき、CEの実例を、単に「環境に良い」と評価してしまうことは、ほとんど裏切りだ。サーキュラーエコノミーはすでに述べたように、本当に多様な領域に、全方位的に接続することを求める。そしてそれゆえに、サーキュラーエコノミーは、環境に良いが、それ以外にも良い。そのことのすべてを書き下すのはあまりに難しいが、純粋に環境的価値や金銭的価値を超えて、それはいわばソーシャルイノベーションのためのデザインの実例として解釈することができる可能性が多々あるのである。

もちろん、それがCEとして解釈されるからこそ、それは市場で投資する価値のある対象として認識されることは間違いない。けれども、そのそれ以外の側面を少なくとも私たちは知っておくことが大事だし、そしてそうした意味での全方位的な網の目にも気を配ることで、CEの実践そのものにも効果は波及するものと思う。

サーキュラーエコノミーとメディエーター

そしてここまで論じてきた意味において、安居さんは徹底的に全方位的なメディエーター(媒介者・つなぎ手)なのだな、と話を聞いていて強く感じた。そしてこのメディエーターとしての立場こそ、あらゆる意味で、CE的にもデザイン的にも、まさに目指されるべきロールモデルなのだ。

まずひとつの側面において、安居さんはオランダをはじめとするグローバルな潮流や実例、数値的側面に精通しているが、それと同時に京都や霧島での極めてローカルな実践、その争われる政治に関与している。定量的な情報と定性的な振る舞いとを同時にバランスを取っている。その実践ゆえに、環境も福祉も教育も目を向けている。そこには思想も実践もある。安居さんはいわばどちらでもありどちらでもない、極めてノマド的で曖昧な存在なのだ(曖昧なのにでも、おそろしく強度があるがゆえにいずれも明確に見えるところがおそろしい)。そしてその意味でまた、二項対立に分類されがちなたようなものたちのあいだで、それらをノマド的に横切りながら媒介・翻訳する存在でもあるのだ。

そしてこのメディエーターとしての立場はなにより、ローカルでの実践において、なによりの強度をもって表現される。つまり、茅葺き職人や、環境省や、京都の呉服屋や、オランダのフィリップスや、保育園や、そうしたまったく異なるローカリティを持つものたちが、安居さんのサーキュラーエコノミーという文脈のなかで軽やかに媒介される。安居さんの役割とはなにより、「多様な/異質なものたちが同じテーブルにつく」ことを可能にする役割なのだと思う。

これは、まさに固定化していきがちなアッサンブラージュのあいだを自在に横切りながら、これまでにない組み合わせを次々に生み出していく流れであり、そしてそれこそ、これからの行政にも(例えばNew public governanceにおいて)、これからのデザインにも(例えばペレ・エーン的な意味での参加型デザインにおいて)、そしてもちろんサーキュラーエコノミーにおいて、最も必要とされる役割なのだと思う。

普通にデザイン論になってしまった。でも改めてそんなことを思ったのでした。安居さんの本、買ってね。


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