2023年5月8日

連休が終わった。受け入れ難い。そんな日でも大学に行かなければならない。そして連休明け一発目の講義は苦手な教員の講義。それでも大学に行った私を褒めてくれ。

ついに『会社員の哲学』を読み終えてしまった。本当に読んで良かったと思う。ベストなタイミングで読んだと思う。

私は、観たい映画をだいたい観たいときに見て、行きたい展覧会にだいたい行きたいときに行き、毎日本を読み……という生活をしている。それでも、日々のやらなければならないことが、本当に嫌で嫌でたまらない。書類を提出したり文書を送ったり、いついつまでにしなきゃいけませんよ、と言われたら、その期限がだいぶ先でも精神が参ってしまう。夏休みだろうがゴールデンウィークだろうが。就職して働き始めたら、もう毎日がそればかりで、次に解放されるのは定年退職で、それとても年金がもらえないと言われ、かなりの年齢まで働かなければいけないことに絶望感を抱きながら日々を生きている。

労働を、長い長い人生の停滞期間であるかのように捉えてしまっている。しかし、『会社員の哲学』はそうでないあり方を教えてくれる。労働は所詮労働なのだ。日々生きていくためにお金を稼ぐ。”その程度”のことにそこまで人生を束縛されなければいけない社会では、もうないはずだろう。自分の人生をロスせずに、生活や活動を人生のメインに、そのための労働を手段のままに、そういう生き方を提案してくれた。

久しぶりの大学。頑張った。講義は半分寝ながら受けたけど。自分へのご褒美(この言葉はあまり好きではないのだが、これ以外に言い方が見つからない)に、生協でシモーヌ・ド・ボーヴォワール『決定版 第二の性Ⅰ 事実と神話』(河出文庫)を入手。しばらく積むと思うけど、今のうちに買っておいて良いだろう。

引き続き、新書を浴びたいと思っている。大学図書館の新書棚でうんうん悩んだ挙句、髙宮利行『西洋書物史への扉』(岩波新書)と小林登志子『古代オリエント全史:エジプト、メソポタミアからペルシアまで4000年の興亡』(中公新書)を借りる。我ながら良いチョイスなり。

縦社会について。私は縦社会に馴染みがない。縦社会の”内部”にいたことがないので。しかしそれは語弊がある。高校1、2年の頃は部活という空間で縦社会に所属していたと言える。でも、私たちの学年の人たちはみんな縦社会に馴染みがなく、上級生による縦社会的な振る舞いを、ちょっと離れて見てはうっすらバカにしていた。だから、私たちは彼ら彼女らの求める行動を取らない。というか取れない。だから彼ら彼女らは私たちに文句を言ったりするのだが、私たちはその文句も話半分に聞いて、本気にしない。しかし彼ら彼女らの部活における”うまさ”は確かで、技術面の尊敬はするものの、人格面においては全く気にしていなかった。私たちはナチュラルにそれをしていた。私たちのうちの一人は、彼らのうちの一人に「○○先輩のこと〇〇くんって呼んでもいいですか?」と言っていて、それに対して先輩は「え、いやまあいいけど……」と言っていた。私は「え、戸惑うんだ」と思った。全然良くない? と思っていたので。先輩は私たち後輩が自分に親しみを持つように促す行動をとっているようだったので、なおさらだった。色々と衝突もあり、縦社会的な振る舞いをかわしつつ、技術面での尊敬と人格面での親しみを欠かさなかった私たちは、縦社会的なあり方を内面化しないまま2年生になり3年生になった。2年生になったとき、後輩に対して後輩としての振る舞いを強要しない。先輩後輩という違いを厳然とさせるようなシステムもあったが、「一応こういうのあるけど、うちらは気にしないから全然いいよ、3年生は気にするみたいだからそのときは気をつけたらいいけどさ」とやっていた。だって意味がわからなかったので。いらないルールはなくしてしまえばいいのだ。3年生からは、1年生を縦社会に馴染ませろ的なニュアンスで「ちゃんとさせなよ」という空気を感じたが、私たち自身が縦社会に馴染んでいなかったし、縦社会的なあり方を理解していなかったし、そんなことを教えようがなかったし、理解していたところで教えたくもなかった。彼らをバカにする気持ちがわずかに増しただけだった。3年生になって、まだ縦社会の維持の仕方を知らない私たちは、完全に縦社会的なあり方をなくしてしまった。”〇〇をする順番”とかに現れる上下関係を示すシステムも、「いらなくね?」でなくした。なくしたというより、そこに意志が介在しない形でなくなった。だって、そのシステムはそもそも人間の振る舞いとして不自然なものだったし、不自然なものは勝手になくなってゆく。しかし後輩たちは”先輩に対する振る舞い”を知っていて、たびたび自分たちが勝手に上に上げられるような気まずさを味わった。で、そのまま卒業した。ついぞ縦社会を知ることも、縦社会に無理に組み込まれることも、縦社会を内面化することもなく卒業した。しかし、縦社会は温存される。なぜなら、私たちが縦社会のあり方を知らないまま、部活というシステムを継承し、後輩に受け渡してしまったので。本当に縦社会的なあり方をなくすには、縦社会的なあり方に自覚的にならなければいけないから。縦社会的なあり方を露呈するシステムを「これは縦社会的なやつです。これを破壊します!」と宣言して破壊しなければならない。

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