2023年8月1日 「銃と豆乳鍋、『氷の微笑』」

8月に入ってしまった。悲劇ですよこれは。

・米澤穂信『可燃物』(文藝春秋)
・堀静香『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)

を買った。

買いに行った本屋に、仕事でスタッフと話していた人がいた。その人は何か忘れ物をしたらしかった。その人は「戦争に行くのに銃を持たずに行っちゃったみたいな笑」と笑っていて、ぎょっとした。自分に同じことが起こっても絶対にしない喩えだと思う。それは倫理的な反発心からではなくて、自分が戦争に行くというヴィジョンがまったくないからだ。なんなら、そのとき「ああ、戦争に行くには銃が必要なのか、そうだよな」とまるで初めて知ったみたいに思った。戦争とか銃とかというものたちは、私の想像の埒外にあるものなのだと思う。

ぼくたちを徴兵しても意味ないよ豆乳鍋とか食べてるからね

伊舎堂仁『感電しかけた話』(書肆侃侃房)より

それに比べれば、一見お気楽に見えるこの短歌は、大変に覚悟の決まったものに見えてくる。自分が徴兵されることをある程度の可能性で見据えていて、徴兵に対して、銃ではなく豆乳鍋を選んだことを宣言している。ふんわりした回避に見えて、実は主体的。戦場では銃を選ばされるのだ、という未来がきちんとわかっていなければ、豆乳鍋を選ぶことすらできないだろうから。

ポール・ヴァーホーヴェン監督『氷の微笑』の4Kレストアを観に行った。ヴァーホーヴェンはしばらく前に『ベネデッタ』という映画をやっていたけれど、そのときは知らなかったし、観に行かなかった。しかし最近「ヴァーホーヴェンってのはすごい監督らしい」と聞いて、ちょうど『氷の微笑』をやると知ったので観に行った。以下、ネタバレっぽいのがあるかも。

初っ端から濡れ場。すぐ殺人。最後まで本当のことはわからない。不安で不安定な映画。

刑事ドラマをよく観ていた私は、「もっとちゃんと捜査しようよ」とか「そんな適当でいいんか!?」とか思いながら観ていたけれど、その辺が気にならなくなってくるほどのシャロン・ストーン演じるキャサリン・トラメルの引力。

というか、話の作りが半端なく上手い。観客からすると、最初キャサリンが出てきたときは「絶対コイツが犯人だろ!」という感じなのだが、主人公同様、次第に本当に違うのではないかと感じ始める。しかし、その辺りからキャサリンの態度がわかりやすく「主人公を騙そうとする女」になり始める上に主人公ニックはそれに全く気づく様子がないので、やっぱりコイツが犯人なのではないかと思ったりする。かなり観客の心はアンビバレントになる。その後、状況的にはもう確実にキャサリンは無罪ということになってしまうのだが、観客からすると全然そんなこと信じられない。これまでになく確実に無罪なのに、観客の気持ちは完全に「コイツが犯人!」なのだ。そして最後──。

ここまで持っていくのか。観客の心情操作が上手すぎる。続編もあるらしいのだが、どういう話になるわけ?

ところで、アメリカ映画を見るたびに思うのだけれど、アメリカの映画に出ている人ってどうしてあんなに”過剰”なのだろう。普通にしていると思ったら突然怒鳴り出したり、やたら人のことを煽ったり、すぐ売られた喧嘩を買ったりする。調子に乗りすぎだし、恋にうつつを抜かすし、もうわけわからない。そういう人が出てこないアメリカ映画だって観たことがあるから、アメリカ人がみんなそうというわけはないのだけれど、それでも映画に出てくる人ってどうしてああなんだろう。不思議。

帰り、バスに乗った。前に近所のコンビニから出るとき、傘立てから自分の傘を取って帰ろうとするその瞬間、すぐ横に立っていた外国人男性と目がばちっと合ったことがあった。その人はちょっと稀有なくらいの美しさで、一瞬どきりとしたのだが、別に会話も何もなかった。帰りのバスにはその人が乗っていた。どきりとしたが、別に会話も何もなかった。向こうは覚えてすらいないだろう。私もアメリカ映画的な世界に入り込んじゃったのかしらん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?