2023年10月30日 延滞、速度制限

ぎゃーーーー!!!!

ゼミ発表の準備しなきゃーーーーーー!!!!

何にもやってなーーーーーーーーーい!!!!!

大学の図書館から返却の督促が来たので急いで本を読んだりした。市の図書館から借りている本も延滞してしまっているので返しに行った。がたがたな私だね。

延滞している本を返すとき、普通に「延滞してませんけど?」の顔で返そうとすると「少し延滞してますね」とか言われて怒られた気持ちになるので、図書館に着く直前にちょっと走って、疲れた顔して「すみません忘れてて少し延滞しちゃったみたいなんですけど……」とか言うと、「次から気をつけてください」で終わる。向こうからすると別に変わらないのかもしれないけど、こっちの気持ちはこれでひとまず下向かない。別に延滞してるのもわざとじゃないので、あんまり怒られたくないのだ。情けないことだが。

お金も時間も体力もない。おまけに速度制限がかかっている。ダウンロードしていない音楽も外では聴けない。でも裏技を見つけた。あるアルバムが聴きたいとき、まだ家のWi-Fiが届く範囲(まあ要するに家の中)にいるうちにそのアルバムの1曲目を再生しておけば、多分その瞬間にアルバムごと読み込まれるので、外に出た後も途切れたり止まったりしないのだ。みんな知ってるかもしれないけれど。

日付が変わってしまったけど、これから論文読み読みタイム。

以下は返却の督促が来たので急いで読んだ本より。面白かった。

デカルトのあのおもしろいシステムは、実はそのように、明証的で明晰判明で、疑えない確実なものだけで構築されていたものではないのです。(略)
 ですから、そのように見直してみますと、かつてよく「基礎づけ主義者」が言ったように、デカルトの哲学の中にある不純物を取り除いて、その核心部分からわれわれは学ぶべきだという主張は、私にはあまりにもあまりな、事態をわきまえない主張に見えてしまいます。デカルトのシステムの中では、さまざまなものが支え合っています。その支え合いの中で、なにか魅力的なものを見つけることができるかどうか。それがデカルト哲学の思想としての力だと私は思います。

冨田恭彦『デカルト入門講義』(ちくま学芸文庫)、p.285

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