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辛い思い出が8割だった2022〜交換留学日記#44〜

今日は大晦日ですね。僕の大学生活の年末年始はあまりいいモノではなかった気がします。
1年次は関西旅行をバイトによって潰される、
2年次は飲食店バイトでビールのデリバリー中に新年を迎える、
3年次は交換留学が中止となり、失意であった為中国の友達の家へお泊り(新年を祝える精神状態ではなかった為、春節という文化に逃げた)

今年4年次は体調があまりよくないので、自宅でゆっくりしていることにしました。ここで無理するのも悪くないのですが、5日からポルトガル旅行、9日から授業開始というタイトなスケジュールが待っているので!!

今は家でテスト勉強とかに時間を充てます!
2023年はもっともっと結果に拘っていきたい!!!!

こんちゃ!今回もよろしくお願いします!
今日は簡単に今年1年を振り返っていきたいと思います!

まず、2022年は簡単に触れた通り、失意から始まりました。
本来、もう半年早く留学に来る予定だったのですが、オミクロンの影響で中止となってしまいました。

2021年7月に派遣基準を超えることができたのですが、学習開始した2020年11月はTOEIC340と留学なんて絶望的なスコアからのスタートでした。それから、約8ヶ月で勝ち取ったのですが、その間1ヶ月で6キロ痩せるなど平坦な道のりではありませんでした。そんな背景があった為、中止のメールは本当にしんどかった。

今思うともう少し、正しい努力をしていたらそこまで追い込む必要はなかったんですけどね。笑

救ってくれたのは中学時代のチームメート。今年東京ドームで開かれた全国大会でホームランを打つような怪物や、左肩の手術をして再起を図る左腕の苦労話を聞いて、「辛いのは自分だけじゃない」と気付けた。

多分、あの時間がなければ就活も卒論も引きずったまま、だったと思う。

就活も15社落ちはしたものの、3社とご縁があった。誰にも言わずに受けていた超大手海運企業は最終手前で落ちちゃったけど、それなりの結果だったと思う。でも、今は外資に行きたいなんて思ったりしている。笑

その後、コロナに感染し、後遺症に悩まされた。当時の日記を見ると、口外はできない程、とんでもないことが書いてある。

後遺症に苦しみながら、夏の黄金伝説級の生活。
平日は朝4時半起床で炎天下の中の農作業、そして授業、卒論。
週末は炎天下で8時間の警備バイト。全ては交換留学の資金調達のため。
6月から8月の間だけで53万円を自力で稼いだ。

しかも、月から金まであった大学の授業は1度もサボっていない。かつ卒論もゼミ内で1番目にゴールした。寝不足とストレスに追われた3ヶ月、あれほど人生で辛かった時間はないと思う。今思い出すだけでも、涙が出てきそうになる。でも、この時のお陰で円安留学ではあったものの、奨学金を除いて自費で生活、旅行ができている。

だから、誰にも口出しなんて絶対にさせないし、お土産お土産言われる筋合いなんてあろうはずがないと思っている。

紆余曲折ありながら、極東を旅立った。

ドバイ経由で到着後、すぐに待ち受けていたのは欧州の洗礼であった。

オランダの鉄道がストライキを起こし、アムステルダムからフローニンゲンまで行けない!まだ神様がいじめるんか〜なんて思った記憶がある。

結局、台湾とインドの方と荷物に圧迫されそうになりながら辿り着いた。1人€100の大出費であったけど、今となっては笑い話になってる。

そこからはご存知の通り、夢のような時間を過ごさせてもらっている。
渡航前に沢山の不安な気持ちを背負ってきたが、今となっては日本に帰ることを「タイタニックが沈没する感覚」と思うようになっている。

そう思う背景については、次の回で話します。
まずは2022年ありがとうございました。

少しでもオランダ留学、欧州生活について知って頂けたら幸いです。

Have a nice day!!

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