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brother

うちに新しいメンバーが加わった。

brother。

弟でもできたんかって。

まあこの可愛い子ちゃんなんですが。

先日わたしが洋服を縫っていたら突然先代のbrotherちゃんが逝きまして…。

2週間ほど前に父の修理によって命の危機を乗り越えたのですが、とうとう…。うっ。

十数年前に母が買ったものでした。
お母さんは、モノに性別が見えるほど愛着が湧いてしまうタイプなので、まだ復活を願ってリビングの端っこにいてもらってます。

でも、お互い服を作り途中だったので、すぐに一緒に新しい子を買いに行きました。

そこでお母さんが選んだのが、さっきの写真のbrotherさん。
最新のもので、かなり性能も馬力もいいもの。
先代は、最低限のものなら縫えますという具合でした。

お母さんが所有するものなので、お母さんにどの子を買うかは任せました。

が、

正直。
【最低限】というワードが、わたしにとっては大変魅力的なんです。
その最低限のなかで、いかに最低限じゃないもので作ったクオリティに近づけるか。的なところが好き。すごく好き。ぞくぞくわくわくする。

一人暮らし時代も、部屋やキッチンにに物が全然なかったのは、最低限の装備の中でいかに代用をして、みんなと同じ、はたまたそれ以上のクオリティで生活するか。みたいなのが楽しくて楽しくて。笑

めっちゃ安い服を、そういう風に見せないで着る。みたいなのに似てるかも。

浪漫。

とでも言いましょうか。

だから、最新家電とか、便利グッズとか、なんかつまらないなーと思ってしまったり。
すごいなあー考えた人って感心する一方で、頼り切ってしまったら人間生きる能力低下するわって思っていたり。

カンボジアで以前書いた、【経済指標で図ることのできない豊かさとは】っていう、

先進国って本当に幸せなの?途上国はじゃあ不幸せなの?

っていうレポートも、そういう小さな日常的なことについて気になったから書いたなー、とふと思い出しました。

知識より知恵を身につけたい。
簡単に、楽に生きることなんてどうせできないんだから、なら、どんな環境でも生きていけるような自信を身につけておきたい。

と思いながら最新型のボタンたくさんで液晶まで付いてるミシンをお母さんよりも先に堪能して洋服もちゃっかり完成させちゃってその性能に感動していました。

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