見出し画像

ラジオ好きがラジオ局の採用試験を受けた話①

僕はラジオが大好きです。暇さえあればスマホでradikoを開いて全国各地のラジオ番組を聴いています。

今年の10月からは本格的にメールも送るようになりました。お笑いトリオのパンサーの向井さんがCBCラジオでパーソナリティを務めていらっしゃる「#むかいの喋り方」では3通も採用していただき、1人で勝手に盛り上がってしまいました。特に「リスナー知恵袋」というコーナーでリスナーたちが各々自信のあるモノマネを披露する回があったのですが、そこで自分のモノマネが採用されたときは「俺の声が公共の電波に乗っちゃった!?」と、めちゃくちゃ感動しました。(笑)

そんな僕ですが「いつからラジオが好きなんだろう…」と振り返ってみて、そういえば小学生の頃からよく聞いていたなということを思い出しました。

小学1年生からバスケットボールをやっていたのですが、土曜日の練習が終わるといつも父親が学校まで車で迎えにきてくれました。その帰りの車のカーラジオから流れていたのがFM802の「J-HITS TOP20」でした。FM802は関西の方なら馴染みの深いラジオ局だと思います。番組名から分かるようにその週の音楽チャートTOP20を発表する番組です。「誰のどの曲が1位かな〜」と予想しながら家に帰るのが当時毎週の楽しみでした。

時は流れ、高校生になると「軍隊」と呼ばれるほど練習が厳しいバスケ部に入部しました。朝昼晩練習して帰ったら寝るだけの生活。体罰もフツーにあったので精神的な余裕もなくなり、ラジオから徐々に離れていってしまいました。
それでも3年生の夏に引退して大学受験の勉強を始めたとき、僕を救ってくれたのはラジオでした。この頃から「ROCK KIDS 802」という番組を聴き始めました。リスナーは自分と同じ歳くらいの学生が多く、簡単に言えばスクールオブロックのFM802版って感じです。まぁあんまりスクールオブロック聴いたことないんで違ってたらごめんなさい。(笑)
勉強でしんどいときにその日の出来事や曲のリクエストをメールで送ったら、DJの落合健太郎さんが「頑張れよ!」とラジカセ越しに励ましてくれて、数日後には直筆サイン入りのメッセージも届きました。それが本当に嬉しくて嬉しくて…。心が折れそうなときに何度も何度も支えてもらいました。今思い出しただけでも泣きそうです。そんな素敵なラジオ番組とDJさんに支えられて、無事大学受験も乗り切ることができました。

大学3回生になると就活が始まりました。就職先を漠然と探し始めるわけですが、その頃の僕は「星野源のオールナイトニッポン」や「バナナムーンGOLD」をよく聴いていました。大学デビューに失敗した僕は友達がほとんどできなかったので、1人でゆっくりできる時間が有り余っていました。なもんで、夜中にradikoを開いてラジオを聴きながら散歩するのが楽しみのひとつになっていました。

これまでFM802しか聴いてこなかった僕にとって深夜ラジオの世界は衝撃でした。

「リアルチェリーボーイの寺ちゃんって誰やねん…。」「カイザー?たけし?オークラ?これバナナマンのラジオじゃないの…?」

今なら何の疑問も抱きませんが、当時の僕にとって、パーソナリティ以外の人が喋ったり、リスナーにあだ名をつけられたりしてることが意味不明だったんです。毎週聴いていくうちに「寺ちゃんは構成作家って仕事をやってる人なんだ…(当時は構成作家という職業も知りませんでした)」「カイザーが設楽さんで、たけしが日村さんか…。ってか、たけしってあだ名になったエピソードおもろw」みたいな感じでだんだんと理解していきました。

そんなこんなでどんどん深夜ラジオの世界にハマっていき、高校生の頃にラジオに救われた経験も相まって「ラジオ局で働きたい!」という想いが強くなっていきました。そんなときにネットで調べて見つけたのが…

ニッポン放送の新卒採用試験

でした。
僕はすぐにエントリーシートを送り、書類選考の結果を待ちました。

ラジオが好きとはいえ、なにか放送の専門学校に通っていたわけでもないし、在学中の大学も関西のギリギリ中堅と言われるようなレベル。ハガキ職人さんみたいな才能はないし、なんのスキルも資格も実績もありません。しかもエントリーシートを送った先は天下のニッポン放送様。「当然書類選考で落とされるだろう」と全く期待はしていませんでした。

数日後、ニッポン放送の採用事務局からメールが届きました。

「厳正な審査の結果、あなたのエントリーシートが書類選考を通過いたしました。」

その1週間後、僕はニッポン放送のある東京・有楽町へ一次面接を受けにいくことになりました。



【ラジオ好きがラジオ局の採用試験を受けた話②】につづく…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?