特に生まれ変わりたくはない。
飲み会やちょっとした雑談の中で、「生まれ変わったら何になりたい?」という話題になることがしばしばある。
その回答は「女性になりたい!」「億万長者になりたい!」「また自分として生まれてきたい!」などなど、人それぞれに生まれ変わりたいものがあって、みんな目を輝かせながら答えてくれる。
そもそもこの話題になるとき、「現在の自我」が「生まれ変わり先」に引き継がれていることが暗黙の前提となっているので、そこからまずは議論しようぜって思うわけだが、まぁそれはさておき、自分が「生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれたときには、「大谷翔平です。」と答えるようにしている。
スポーツ万能、ルックス最強、金銭無双の人気大爆発男なので、それを聞いて異を唱える者はいない。ある種つまらない答えではあるのだが、「そりゃあそっか!」の空気になるから穏便にこの話題を終わらせることができる。
ただ、言わずもがな、大谷翔平にはなりたくない。
どれだけの努力のうえに今の「大谷翔平」が成り立っていて、どれだけのプレッシャーを日々乗り越えているかを想像したら、大谷翔平に生まれ変わりたいわけがない。
もちろん男性にも女性にもなりたくないし、億万長者にも別になりたいと思わないし、また自分として生まれ変わるなんてもってのほか。絶対に嫌だ。
結局何が言いたいかというと「僕は生まれ変わりたくない」。
強いて言うなら「無」になりたい。これである。
人間、そのほかの動物や植物あるいは無機物としてでも生まれ変わりたくない。
この世界、宇宙全体に再び存在したくない。概念としてすら存在したくない。これである。
死んだ瞬間に「無」になってそれでおしまい、続編なし。
これが自分の中での理想形である。
別に現時点での人生が飛び抜けて不幸で絶望しているから、こういう怖い思想を抱いているわけではない。
両親が大学まで出させてくれたからちゃんと飯食えるだけの収入はあるし、欲しいものもそれなりには手に入るし、自分みたいなもんを好いてくれる人たちもいる。比較的幸せな人生を歩んできている感覚はある。
でも、せっかく死ねたのに、もう一回生き直さないといけないってどんな罰ゲームなんだよと思ってしまう。
なにに生まれ変わったって、それなりに苦労はしないといけないわけで、その先に億万長者になる未来があったとしても、やっぱり苦労することに変わりはないわけで。
そう思うと「あぁ~、生きたくねぇ~!!」と思ってしまう。
そんなわけで、特に何にも生まれ変わりたくはないです。
というか、生まれ変わるとかマジで勘弁してください。
自分、このターンで終わりで大丈夫です。
神様、よろしくお願いします。
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