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空洞です(エッセイ)

ここ最近、ずっとゆらゆら帝国の空洞ですを聞いている。というか、空洞ですくらいしか聞けない状態に陥っている。ヘッドギアのせいだ。

ヘッドギアは上の画像のような、歯の矯正に使うものなのだが、これの締め付けがすごい。金属で歯を引っ張っているのだから、そりゃタイトにしなくてはいけない。けれど、こんなにする必要あるか?(あるわ)

とにかく頭が痛くてやる気が起きない。思い出すのは、孫悟空の金の輪。緊箍児(きんこじ)というらしい。え、じゃあ、罰じゃん。あれ悪い事をした時に締め付けられるやつじゃん。おれ、なんか悪い事した?

とにかくそんな調子なので、ずっとカロナールが手放せない。ちょっとした頭痛薬ジャンキーになっている。そして、精神的にはどんどんと落ちていて、浮上の気配がない。ただ寝転んで、朝になれば夜を待ち、夜になれば朝を待つ事しかできない。それはつまり、死んでいるのと何が違うのだろうか。

死人のような生活の中、ゆらゆら帝国の空洞ですをずっと聞いている。勘違いしないでほしいのは、アルバムを聴いている訳ではないという事だ。もちろん、アルバム単位で聞いたこともあるし、今更あの大名盤について語らなくても、いかに空洞ですというアルバムが素晴らしいかについては皆さんも分かっているだろう。そして代表曲、タイトルトラックの空洞ですが素晴らしい事も。俺はベットの上で、空洞です一曲を何回も何回も聴いている。狂ったように。

何回も何回も、血管に血が通るたびにやってくるる痛みに耐えながら聴いた俺の感想としては、結局は優しさの曲なのだな、と思う。そして、優しさというのは時に虚しい事でもある。けれど、空洞としてそこにあり続ける事そのものが、優しさであり虚しさなのかなと感じる。だからゆらゆら帝国はどこにもいっていないのだ。我々が穴の中をくぐり抜けただけ(メンバーもそうだろう)であって、どこにも行ってはいないのだ。ただ、時代は止まらないし、我々も歩みを止めない。そういう事なんだと思う。

そんな事を考えていられるのも、きっと今のうち。頭痛がどうしたと言って、家で寝転んでいられるのも今のうち。大人になったら、雨が降ろうが槍が降ろうが、歩き続けないといけない。空洞の中で遊んではいられない。なんでそうなってるかは知らない。けれど、お金も才能もないなら、流れには逆らえない。

ほら。ずーっとゆらゆら帝国ばっかり聴いてるから、おかしくなってきた。頭痛のせいかもしれないけど。あー、やめやめ。優里とか聞いてtiktokやってオリンピック見ないと。

…なんでこうなっちまったんだろうな。

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