25.ローマ1:28-29 呪われている思い、してはならない事々
神の律法は、殺人、姦淫、窃盗などの悪行を禁じています。しかし、罪の問題はもっと深く、罪深い人間の心から生じているのです。人間は「神を知ることに価値を認めなかった」からです。それが「罪」の本質なのです。
私の人生を支配するにふさわしいのは誰? 私の人生を支配するのは私自身でしょう?
でも本当は、私たちは神の被造物であり、この神をパートナーとしてともに生きるべき存在なのです。それを、自分の意志が神の意志と違うのでもう神と一緒に生きたいとは思わなくなってしまっているわけです。
自分の人生も実は自分で支配できておらず、罪に支配されているのに、自分からはそれに気づくこともできないのでいるのです。
神はもはや人間を正すために、そうした人生に直接介入せず、人間を呪われた思いに任せているので、人間は様々な形で不適切なことを行ってしまい、時には自分自身さえ愛することができなくなっているのです。
大切なことは、パウロが手紙の宛先の人びとに「ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たち」(7節)と書いたように、私たちも神に愛されているその愛を知ることです。
神の愛は、非難されること、ふさわしくないことをすることはできません。神の愛を追い求めましょう。
考えてみましょう:人のうち誰が、神にふさわしくない振る舞いから逃れられるだろうか。
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