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はじロー(1) キリストを知る

ローマ人への手紙1章1-7節

キリストを知る

使徒パウロから、ローマにいる聖徒たちへの手紙です。

あとで多くの個人あての挨拶が書かれていますから(16章)、パウロとローマの聖徒たちと、全く知らない者同士ではなかったことがわかります。販売促進のために商品のカタログを見ず知らずの人にダイレクトメールするのとは違います。

でも、「聖徒」のみんながパウロをよく知っていたのでもありません。パウロはローマにまだ行ったことがありませんでしたから。

自己紹介としては、まずキリストの「しもべ」。下僕です。当時は奴隷制が日常でしたが、その「奴隷」が元々の意味。キリストを主人として仕える者です。

つぎに、ギリシャ語の原文では、「召されて使徒となった」と続きます。

「召される」とは、高位・高貴な方に呼び出されること。パウロの場合は、呼び出されて「使徒」に任じられたのでしたが、同じくキリストを信じているローマの聖徒たちもまた、召されている人々です。

この「聖徒」であるとはどういうことなのか、「聖徒」として生きるとはどういうことなのか、パウロはこの手紙で順々に説いていきます。それが使徒の務めだ、というところです。「神の福音のために選び分かたれ」た使徒なのでした。

その福音が、「御子・主イエス・キリスト」に関することです。「聖書」、つまりここでは旧約聖書のことですが、それに「約束」として書かれてあった預言者たちの言葉が指し示すキリスト、王が、イエスなのです。

主イエス・キリストの人間としての生まれは、イスラエルの王族の血統ダビデの子孫であり、聖なる霊としての存在という面から言うなら「神の御子」なのです。その証拠が、神の力によって死人からの復活で明らかにされたことでした。

「主(しゅ)」とは、天地を創造し、人間を創造した神ご自身の呼び名です。ですから、人間にその呼び名を使うことなど、ユダヤ人にはありえないことでした。

そのユダヤ人社会から召された使徒は、全ての人々が、イエス・キリストがその主であると認めて、生きるように、人々を導き働く者。「主イエス・キリスト」という呼び名、御名をもつ聖なる霊としてのお方が心からの信頼を寄せるべきかた、愛すべきかた、信頼し愛するがゆえに従順に従うべきお方である、と悟らせることが使徒の務めであり、この手紙の大きな目的でもあるのです。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。

ローマ人への手紙1章1-7節

キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。──この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。この方によって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。御名のために、すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらすためです。その異邦人たちの中にあって、あなたがたも召されてイエス・キリストのものとなりました── ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。(新改訳2017年版から)

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