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ローマの松

イタリアの作曲家レスピーギの曲。栄光に満ちた永遠の終局に到達するまでの道を描いているように思うと、感動もひとしお。

インドネシアの多くの人は緑色が好きみたいだけれど、色合いの好みだけではなくて、常緑が示す永遠がイメージされているからなんだろうとも思う。松は、その象徴か。(インドネシアだと、涼しい高原でしか見られない)

「ローマの松」は4つの部分からなる。最初が「ボルゲーゼ荘の松 I pini di Villa Borghese」。子供たちがボルゲーゼ荘の庭で遊んでいる情景らしい。「幼子のようにならなければ神の国に入ることはできない」、とのキリストの言葉が思い起こされる。

次が「カタコンベ付近の松 Pini presso una catacomba」。クリスチャンが地下墓所で隠れて礼拝をしていた迫害時代を想起している。「神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」とのパウロの言葉がそのまま当てはまるかも。

3曲目は 「ジャニコロの松 I pini del Gianicolo」。夜の情景。眠りを誘うような、というか、眠っている人々を思い浮かべている、というか。神の国を継ぐその時まで、眠っているといわれる人たちは、肉体の死のあとでのしばしの安らぎを得ている。永遠に比べたら、数千年でもしばしの間。

終曲は「アッピア街道の松 I pini della Via Appia」。アッピア街道は、ペテロがローマでの迫害を逃れようとしていたところがキリストの十字架の幻を見て戻った、との伝承がある。勇壮な勝利の行進を描く曲。聖徒たちが継ぐべき神の国がいかに栄光に富んだものか、を彷彿とさせる。

もともと、神の栄光にあずかるにふさわしい者はいないけれど、ふさわしい者にされることはできる。スタート地点は幼子。シンプルに、聖書の言葉を受け入れる心を持つ子供たちにならいたい。

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