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III.義とされたユダヤ人もギリシャ人も福音の信仰によって生きる ノート

ローマ人への手紙 5:12-16:27

ここまで、信仰によって義とされることが語られてきました。それを受けて、「このようなわけで」と、信仰によって義人とされた者がどのようにして神に生きることができるのか、に話が進みます。

別の言い方をすると、信仰によって永遠の命を得たものが、どのようにしてその命に生きるか、ということです。「永遠の命を得た」その時から、「生きる」ことを学び始める必要があるのです。神に生きることは、自動的にできることではありません。

5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

III-1 すべての人が信仰によって死のからだからの救いを得て生きる 5:12-8:39
III-2.すべての人が神のあわれみで信仰によって救われて生きる 9:1-11:36
ー特にイスラエルに関する預言ー
III-3.信仰によって救われた者が神にささげて生きる霊的な礼拝 12:1-15:13
ー特に異邦人に関するキリストの律法ー
III-4.パウロ ー神に生きた人の模範と神の働きへの招きー15:14-16:27

ローマ人への手紙第三部

そもそも、永遠の命を持つ、ということは、神に生きる、あるいは、神と共に生きることを意味しているように考えられます。(ヨハネ17:2)

福音への信仰に始まった義人の生き方は、福音によって神に生きる信仰に至らせられるのです。

逆に言えば、義人とされたそのままでは、この世において神に生きることは義人たりともできない、ということです。罪が赦され、神と和解が成り立ってから、どのように生きるべきかを、実践的知恵として教えられる必要があるのです。

罪のからだ、死のからだからの救い

第一に、行動をとるからだが罪のゆえに死んでいました。神に生きるためには、このからだが御霊によって生かされなければなりません。魂と体と一体のはずですが、罪がそれを妨げていたわけです。そして「肉体」の性質としてある習慣性のために、魂が救われてなお罪の習慣がすぐに消えるわけではないのです。その変革が、日常の家庭生活、仕事上の付き合いなど、人間関係に深くかかわる生活において、本人の信仰によって成就していきます。

イスラエルに顕著な問題~すべての人が救われるために

第二に、個人としてだけではなく、ユダヤ人をはじめギリシャ人も、すべての民族の最終的な救いの行方を学びます。特に、キリストを拒否しているイスラエルはキリストに対しては死んでいる者のように見えるのですが、神のあわれみによって救われるのです。そのなかで、教会が福音を伝えなければならないと促されています。神に生きるビジョンが与えられます。

異邦人に顕著な問題~キリストの律法

第三に、神に生きるには、その神の目的に沿って私たちが教会の一員として具体的に整えられる必要がある、ということです。しだいに異邦人が主体となっていく当時の教会が、キリストの律法を全うする愛を身につける必要があり、モーセの律法によるのではないキリストの律法による新しい習慣原則が教えられます。

模範としてのパウロの宣教

最後にはパウロ自身の模範が提示されます。終末までの時代に、教会設立の目的である福音の世界宣教が推進されること、同時に異邦人とイスラエルとが関わり続ける事が、示唆されています。教会の働きに、自発的に参加する信仰が求められています。

この区分には、もともと原罪について(5:12-21)、イスラエルについて(9-11章)の教理を語る上で重要な箇所が含まれると考えられています。ただ、これらの事がらを、ここから始まる「神に生きること」に関連付けて論ずることができるのでは、と考えます。

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