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ドリアンのシンガク・ノート(キリスト教神学)

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聖書や教会に関するちょっとリクツっぽい話。見えない神がここで見えるはずなのに、違って見えているかも、というところが気がかり。
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#教育

シンガク・ノート メモ

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聖書の教え方

聖書は決して読みやすい文書ではない。時代も、地域も、遠い世界のものであり、さらに、神のお働きにかかわる話。難しくて、深い意味がある文章を、子どもに教えることはなおさら難しい。だからこそ、それを解き明かす訓練された人が必要となる。それが「教師」(エペソ4:11,1コリント12:28,使徒13:1)。 どのように聖書を読んだらいいのかは、そうした、先に読み方を知った人(先生!)と一緒に読むことによって、次第に身についてくる。 ある人と長く付き合うほどに、その人の人格をより深く

動機付けと師弟関係

(参考:創造的な聖書の教え方 第11章「学習者に動機付けを与える」) 聖書を教えるとは?実は聖書を学ぶこと。そのプロセスを決めるのは、教師と生徒との関係、鴨と思う。 下記の続きです。 聖書教育において、「動機付け」こそが目標の一つといえるかもしれない。 キリストの「新しい戒め」は、「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)であった。 神を愛することと、互いに愛し合いなさいという神の命令とは、切り離すことはできない(1ヨハ

子供の生活の中に神が生きて働いて下さるとは

(参考:創造的な聖書の教え方 第10章「生活の中に真理を」) 聖書は、歴史に学ぼう、という以上に学んで実践すべき内容。聖書が書かれた時にその書き手に働きかけていた聖霊が、聖書を読む人にも働きかけている。そして、読んだ人は、受け止めた言葉に従って行動を起こす。 自分勝手に読み取って、自分勝手に行動したことを、「神様に教えられた」と神様のせいにしてしまわないようにするにはどうするか。 以下の続きです。 「聖書が実践される生徒の家庭、活動現場で、聖霊がどのように働いてくださ

教える聖書箇所にある神様の目的

(参照:創造的な聖書の教え方9章「ギャップを埋める」) 聖書を教える目的を、自分の目的とすげ変えてはならない。神の目的を知ることから始めよう。 こちらの続き。 「聖書を教える現場で、聖霊がどのように働いてくださるか、そのときになってみないとわからない・・・・だから事前の準備は不要。」  そのように考える人は、たぶん、カリキュラムも作成しないだろうし、利用しないだろうし、準備なしでクラスに臨むだろう。けれども私たちは、カリキュラムの準備のときから働いてくださっている聖霊