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ドリアンのシンガク・ノート(キリスト教神学)

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聖書や教会に関するちょっとリクツっぽい話。見えない神がここで見えるはずなのに、違って見えているかも、というところが気がかり。
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2021年5月の記事一覧

ヨハネ福音書ノート 「はじめにことばが... そして過越の祭が近づいた」

教会でヨハネ福音書を通読して学びました。 随所にある、とても大切なフレーズを、それ以前にいくつか学んだことはありますが、全体を通して学ぶのは、これがはじめて。ヨハネは、ほかの福音書が記していない独自の視点から、神の御子であるイエス・キリストを描いています。 イエス・キリストの時それが、「はじめに」あった「ことば」。ある「時」人となった。バプテスマのヨハネの登場ではじまったその「ことば」についてのあかしは、「その翌日」のあかしに続き、さらにキリストが人々に直接触れていく日々

キリストの終末預言(4) 苦しみに会う時

マタイ24章9-14節 「世の終わり」でイメージするのは、どういうわけか、良くないことごとが多いような気がします。 たぶん、聖書の「預言」と言ってすぐに思い起こすのは黙示録なのです。「地獄の黙示録」という映画があるほど、「黙示録」には悲惨なイメージがついて回ります。様々な災害が、実際、描かれているからです。 それらは「血の報復」(黙示6:10)に神の怒り(黙示6:16)が盛り尽くされる時だからです。 誰の血に対する報復? 誰に対する怒り? 出来事の予告産みの苦しみ

キリストの終末預言(3) 終わりの日の前兆

マタイ24章4-8節 日本での毎日の生活に、天気予報は欠かせません。 でも、インドネシアでは毎日の天気予報に関心が向けられることはありません。雨が降るのはだいたい午後以降で、しかも、急に積乱雲が発達して、狭い地域でゲリラ雨のように降るのが普通ですから。雨が降ったら、雨脚の激しい1時間くらい、雨宿りしてその時が過ぎ去るのを待って、また活動に戻る。それだけです。 何を着ようか、傘の備えは必要だろうか。そういう悩みを持ちえない生活では、天気予報は必要ありません。 それと同じ

キリストの終末預言(2) 将来に対する弟子たちの不安

マタイ24章1-3節 どんなきっかけで、「世の終わり」などということに関心を持つことになるでしょうか。 イエス・キリストの弟子たちは、すぐに手に入るかもしれない栄光を夢見つつ、ふと発した言葉に、思いがけない返事を受けて、慌てて、これからどうなるの、と、不安になったのがきっかけだったようです。 宗教経典で、世の初めと歴史、それに世の終わりを具体的に書いているものは、そう多くはないかもしれません。聖書は、世の始めから終わりまでを丁寧に伝えています。預言が語られるまでの経緯も

キリストの終末預言(1)

将来のことを知りたい。これからどうなっていくのか、どうすべきか、知りたい。個人のレベルから民族のレベルまで、重要な局面に立たされた時に、この願いが起きるものです。 占いがなくならないことも、そのあらわれでしょう。「信じるわけではないけれど」と言いつつも、なにかしらの心のよりどころを求めたくなります。占いによって語られた言葉をどうするか、自分が決めるのだから、友達の意見を聞くのと同じ、、、なのでしょうか。 民衆の熱狂的な支持を受けて、「イエスを王として擁立して、神の国を立ち

イザヤ預言書ノート「永遠の神が歴史に介入する」―全世界が仰ぎ見る神―

イザヤ書全体が、一人の「預言者イザヤ」によって書かれたことを前提に、この預言書の意図、内容を学んでいきます。 預言は、歴史の中に神が介入され、預言者を通して語られたものであるゆえに、語られた時代背景、状況把握が重要。それで、イザヤ書のいくつかの箇所で指示されている、それぞれの事件の起きた時を基準に、全体を眺めてみることにします。 [ I ] 1:1 アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世にユダとエルサレムについて見た幻。 [ II ] 6:1

使徒行伝ノート「さらに地の果てまで、わたしの証人となる」

著者ルカルカが、第1巻「ルカによる福音書」を著してから、その続きとして第2巻「使徒行伝」を書きました。 2巻セットのこれらの著者が誰なのかということは、第2巻目の「わたしたち」(使徒16:10-17, 20:5-15, 21:1-18, 27:1-28:16)という言葉からルカだとわかるようになったものです。パウロに同行していた医者が、ルカだったのです(コロサイ4:14)。 テーマ第1巻目は、イエス・キリストが、地上で行い、教えた事柄、使徒たちに聖霊によって命じたのち、天

創世記ノート 神の救いのみわざのはじめと10の歴史

概観神の御救いのみわざを、天地創造以降の地上における出来事に注目してまとめた書巻。「知恵の書」にあるヨブ記のようには、天の裏話は記されていません。 宇宙の創生物語から、人間の堕落物語を経て、数千年の時代を鳥瞰する「創世記」は、人間の本質がその堕落後の当初から現在に至るまで変わらない者であることを印象付けています。 エデンの園から現代に通じる歴史の記録「エデンの園」のパラダイス状態が、いったいどのようなものだったのか、今となっては、その片鱗を知ることしか許されていませんが、

イエス・キリストの歴史と真理 マタイ福音書ノート

―天国の福音―「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。」 使徒マタイによるイエス・キリストの系図[ギリシャ語genesis]。マタイは、イエス・キリストの十二使徒のひとり(マタイ10:3)。自分に関して「取税人」とわざわざ肩書のように記しています。マルコもルカも、肩書なしのマタイとだけ紹介しているだけなのに(マルコ3:18,ルカ6:15)。エピソードの順序を時間順ではなくテーマごとにまとめて書いているマタイが、自分の出自を福音書9章に置いているのは、罪が赦