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マタイ5:10 ~いつでもどこでも、今、実現する天国~ 害が迫る。それが迫害。良いことをしたら良いことが来てくれるだろう、と思っていると、失望してしまう。 逆に、害悪が来るのは悪いことをしたからだ、と思っていると、何が悪いのか、だれが悪いのか、とそれを探し始めてしまう。 正しいことをして、しかも最高の愛をとどけても、迫害されることがある。今まで出会った人で、やっぱりイエス・キリストがその頂点。そのキリストの言葉。 義のために迫害されてきた人たちは、 さいわいである、天
マタイ5:4 ~自分の居場所を喜ぶ~ 自分の居場所がなくて放浪しなければならない、って、、、 「ヨソモノ」がその地に溶け込むまで10年はかかるかもしれません。もしかしたら、いつまでたってもそうならないかも、と考えたら、どうやって生きていけるのでしょうか。 海外で暮らしていると、けっこう身につまされる状況です。 悲しんでいる人たちは、 さいわいである、彼らは 慰められるであろう。 他民族に支配されている者への約束の言葉今から二千年前、イエス・キリストが山上の説教を
マタイ28:16-20 ネバー・エンディング・ストーリーというファンタジー映画 (原作はドイツ語の子供向けファンタジー小説) がありました。物語が本の中にとどまらず、今の自分にかかわってくる、と。。。 マタイの福音書も、そんな感じです。 エルサレムの郊外で十字架にかけられたイエス・キリストが、復活。このパッションの物語が、福音書の頂上。そこから一気にジャンプ台から踏み切る、という最後を迎えます。 アジアの東の端に生まれて、アジアの西の端のことなど遠い世界で全く知らなか
マタイによる福音書26~28章 マタイが記録しているイエス・キリストの最後の5日間の出来事。宣教の大命令と言われる一言を最後に完結します。 <
マタイ27:45-61 日中、急に太陽が光を失い、あたりが暗くなってきたら、驚くでしょうか。日蝕だとわかっていたら、むしろ関心をもってどうやって観察しようか、と行動するかも。 でも、3時間も暗い時間が続いたら、異常事態に不安を感じるはず。 もし、地球全体が闇に包まれたとしたら、何があったのかと、世界中で大騒ぎになっていたはず。 西暦30年4月7日だったと推定されています。 その日、エルサレムの全天が3時間にわたって暗くなりました。 あ、全天ではなく、全地が、でした。
マタイ28:1-8、11-15 昨年はフェイクニュースという言葉が流行りました。 動画でも本物に全く似せたものが作れるそうで、ホントかどうか、確かめられるだけ確かめないと、アブナイ。 2000年前も事情は同じだったみたい。人間やること、そう変わらない感じですね。 イエス・キリストを抹殺したつもりでいた宗教家たちが、イエス・キリストの墓が空になったことをどう説明するか。。。 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた
マタイ28:1-10 朝起きて、最初に出会う人にあいさつをする時、どんな気持ち?普通?それともうれしい? 何人かの女性たちにとって、この日曜日は特別でした。特別な人とあいさつを交わしたのですから。 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
マタイ26:1-5 毎日が天国だったら、どんなことになるでしょうか。マタイの福音書は、「天国のミステリー(奥義)」をまとめたもの、とも言えそうです。その結末が、イエス・キリストの受難と復活。 「受難週」と呼ばれる、イエス・キリストが十字架で死ぬ日までの1週間。マタイは福音書の21~27章で描きます。最後の28章は復活後の話。 イエス・キリストの三十数年の地上生涯のうち受難週の記録が、福音書の約3分の1を占めています。ここには、この世の終わりはどうなるか、というイエス・キ