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綺城ひか理は叫んでいた あるいはわたしは如何にして糸月雪羽に隷属するようになったか

綺城ひか理が自分にとって特別である理由は、やはり彼女が男役でありながら批評性を持ち得ている点にあるのだと思う。そもそも宝塚の舞台上における批評性とは娘役がほぼ一手に担うものだったはずだ、女性が娘役として女性を演じるという二重の身体を舞台上の"視座"として人身御供のごとく観客にさらしつつ、物語力学の要請下で身体を寄せ、声を合わせ、眼差しを交わしあうという具体的な所作によって男役と関係性を築き、そうすることで身体の二重性がさらに強化されていく。男役が視座としてわざわざその立ち位置を観客に分け与える必要などない。「宝塚とはすなわち男役」なのだから。宝塚歌劇とは男役が男役として振る舞う姿を見るものだとされているのだから。

だが自分にとってはそうではない。自分にとってはずっと「宝塚とは娘役」だったし、誰に問われることなくそう嘯いてきた。ではなにか、自分はいわゆる文芸の世界でいうところの「批評読者」みたいなものなのか?? ……などという厄介かつ面倒な話はさて措くとしても、ちょっと気の利いた男役なら「男役が輝けるのは娘役の存在あってこそ」くらいのことは言うのが今どきだ。凪七瑠海は「娘役は男役という花を美しく立たせるための花瓶」とも言った。もちろん娘役は男役のために存在するのだという含意が彼女たちにないのは確信してよいだろう。だいたい男役と娘役がお客様により良い舞台を届けるために一致協力するというのは理念以前の舞台人としての大前提なのだし、「宝塚とは男役」である以上そこに不可逆性が生じるのが構造の問題でしかないことは、各々のファンとしての原体験に遡行して問うまでもなくタカラジェンヌ誰もが承知しているはずだ。だからこそその辺縁で、突端で、交差線上で、視座である娘役をなお眼差し、そこに生起している関係性を、重力のかたちを、運動の軌跡を可視化させる綺城ひか理が特異だというのだ。

綺城ひか理は叫んでいた。間違いなく『GRAND MIRAGE!』最大の佳境であろうシボネー・コンチェルトの大詰めで。気がついたときにはすでに彼女は叫んでいたのだ。そもそもカンツォーネの場面であかさんは綺城ひか理を眼差す星空美咲を眼差す綺城ひか理として、みさきちゃん相手にくっついたり離れたりしながらその私秘的な時間を観客に垣間見せるような舞踊をしていた。そこで満足してしまったというわけではないが、いやたいへん満足はしたのだが、その直後に糸月雪羽さんに不意撃ち的に捕まってしまってなんかもうそれどころではなくなってしまっていたのだった。

所は宝塚大劇場、一階S席の通路真後ろ(22列)。『The Fascination!』以降の花組ショー観劇時にはいつもそうであるように、三空凜花さんを中心とした楕円の銀河として『GRAND MIRAGE!』を鑑賞していた。で、カンツォーネの場面にはみくりんは出ていないので、これまた例によって自らの興味の向くまま舞台上で目に止まった娘役さんを点として、その都度異なるかたちの星座を自由に描いていくことになる。その過程で一瞬、銀橋に立つ糸月雪羽さんのうえでオペラが止まった。そこで彼女と目が合った。

とうぜんながらそのときはそんな気がしただけでオペラは何事もなかったように動きを再開した……はずだったが、いや確かに目が合ったのではないかという認識が遅れてやってきて、再度糸ちゃんに今度は意識的にオペラを合わせてみる。するとそれにタイミングを合わせるかのごとく、SS席あたりに視線を送っていた糸さんがふたたびこちらに向き直ったのだ。目が合った。そう確信してしまったらもうオペラを外すことなぞできようはずもない。そしてもはや糸様も視線を外すことなく、こちらをまっすぐに見据えたまま銀橋で歌いつづけている、まるで待つように躾けられ、ご主人さまの言うことを忠実に守ってちゃんと待つことの出来た飼い犬にご褒美を与えるかのように。

シボネー・コンチェルトには美空真瑠もいた。群舞のなかに彼女を見つけると、そらまる! と瞬時に心臓が跳ね上がり、たちまち脳に血がのぼり、顔中から汗が迸る。やがて娘役が出てきて、両手で掲げるオペラグラスの海はふたたび三空凜花銀河に満たされはじめる。朝葉ことのの衣装から露出した二の腕がかっこいい。美羽愛が御輿になって華麗に運ばれていく。吸い付くように地面に降り立ったあわちゃんの胸に海斗あさひがむさぼりつく。糸月雪羽様が花道から「よーしよし言い付けどおりちゃんとわたしを見ているな?」といわんばかりの眼差しでこちらを見ている。そして……シボネー・コンチェルト怒涛の終盤に差し掛からんとするところで、先日ひとからもらったアドヴァイスが脳裏によみがえってきた。シボネー終盤で誰を見ているか問われ、「いや、主に娘役さんを見てるねーあとそらまる」とへらへらこたえる自分に、彼女は「ぜっっったいにあかさんを見て!!!」と嘆願するように言ったのだ。

あぶないところだった。果たして綺城ひか理は目を剥き、決死の形相で、悲壮感さえ纏わせながら四肢を振りまわし絶叫していた。あかりさんだけではなかった。後ろにいる鈴美梛なつ紀も絶叫していた。なつきさんだけではなかった。いつしか絶叫する綺城ひか理を中心とする大きな渦が舞台上に形成されていた。

今度こそ綺城ひか理にオペラが釘付けとなり、やがて加速と狂熱のうちにシボネー・コンチェルトは終わりを告げた。もちろんそれは『GRAND MIRAGE!』というレビュー作品の一場面が終わったというにすぎない。だが綺城ひか理という視座を借りて渦の只中にいた自分にとって、場面の終わりは物語の終わりであり、物語の終わりは世界の終わりに等しかった。シボネー・コンチェルトという流れが、花組という世界の淵からはるか宇宙の奥深くへと滂沱として流れ落ちていく様を見たような気がした。涙が流れていた。これが綺城ひか理という男役なのだ、と強く思った。

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