見出し画像

矛盾してるけど嬉しい

結婚前に付き合っていた男性に、父親と病院を経営していた医者がいた。

親に医者になれといわれたわけではないし、自分でも何がきっかけだったか記憶にないけど、幼いころから父親のような医者になりたいとずっと考えていたらしい。
実際、彼のように医者の子供は医者になる人が多い。
政治家でも二世がいっぱいいる。

世襲で受け継がれるものって確かにあるんだろうけど、私は最も大きな鍵となったのは、彼らが医者や政治家になる過程を親を通して想像しやすかったことじゃないかと思ってる。

親の姿を通して自分の未来を想像する―― それは何もない真っ白な状態から想像するよりも、ずっと具体的に浮かぶだろうし、その道を歩むにあたって大きな力になるんじゃないかと思う。

ただ、これも良し悪しで、例えば彼は「逆に言うと、医者以外の自分を想像したことがない」と話していたが、私のように小説家になりたい、学者になりたい、先生になりたい、声優になりたいなどなど、様々な自分をやみくもに想像するのはそれはそれで楽しかった。ただし就いた仕事は銀行員というオチだけどな。
いろんな自分を夢見たことがない子供時代というのは、少々寂しい気もする。

前回の記事にも書いたが、亡父のことでヨーグルとなぜか喧嘩……というより、私が彼を一方的に責めたててしまった。
本来、私が怒りをぶつける相手は亡父なのだが、ヨーグルは男というだけで父の代わりに私の怒りをまともにくらってしまう。

「女(母と私)はこんなに変わってるのに、男(父)はいつになったら変わるの?」と。

変わるも何も父はすでに死んでいる。変わりようがない。
でも、それこそ私のもやもやは父が死んでしまったことにあるのだ。
子供だったとはいえ、父のあの理不尽さと戦えなかったことが悔しいのだ。

かといって、ヨーグルが男というだけで父への怒りを男性へのそれとすり替えて彼にぶつけるのはおかしい。
そもそも、ヨーグルと父は全く違う。
当然だ。
私は父のような男性には近づかないようにしてるから。

謝る私に「僕も悪かった」と言う彼。
それで仲直り、めでたしめでたし、になるはずだったのだが、その後に続いた彼の言葉が予想外で戸惑った。

彼が、これからも父のことを話してほしい、と言う。

実は父のことはもう話さないと決心していた。
彼は父を知らないし、知らない人のことをあれこれ言われても困るだけだろうし、私が父のことで荒んでる姿なんて見たくないだろうと思ったからだ。

だいたい、私は父のような男性と二度とかかわりたくないから父とは正反対の男性を見極めてきたのに、いつまでも私が父に囚われたままでは意味がない。
せっかく父のような人とは無縁の生き方をしてきた彼らに、自ら父を招き入れてどうする。彼らが父に影響されるとは思わないけど、私は彼らには父のような存在を知らないままでいてほしい。

「無理に話せとは言わない。でも、話したければ今まで通り僕に話してほしい」

この人は知っているのだ。
私が本当は話したいことも、でも聞かせたくないことも。
そして、この矛盾がどこからくるのかも。

「あなたみたいな人は父のような人間を知らないほうがいいのよ」
「凛子のお父さんだろ。僕は知りたいんだ」

子供のとき、未来の自分をいろいろ想像した。
それは根拠がなく、無謀で無責任で好き勝手なものだ。

でも、一つだけ具体的に想像できたことがある。
父のような男と結婚して、家事に仕事に子育てに、毎日生きることに疲れ果てた母みたいな大人の自分だ。
きらきらした色鮮やかな未来の中で、それだけは色がなく、ひどくくすんでいた。でもそれが最もリアルに浮かんだ未来だった。

「僕は凛子が知りたい」

私の中で短い映像が流れた。

私はヨーグルに父のことを話している。
内容はいつもと同じ。
大酒飲みで、深夜に大声で騒いで、わがままで、すぐに仕事を辞めて母に甘えて散財癖があって、学歴大好きで、でも自分は深い学歴コンプレックスを抱いていて、弱くてどうしようもない。こんな人間にはならないと私に誓わせた父の話だ。

でも、語る私の顔は怒ってない。泣いてもいない。キラキラもしてない。色はある。くすんではいない。そしてとてもリアルだ。

「本当にどうしようもない人やったわ。でも、なんか懐かしい」

私は父をただただ懐かしんでいる。

「まぁ、結局、私は父が好きってことなのよ」 

ヨーグルは、いつものように静かに私の話を聞いている。
そして、こう言う。

「知ってたよ」

ヨーグルは知ってるんだと思う。
本当は私が父のことを大好きなことを。
だから「話しなさい」って言っているのだ。

昔、父の枕元にヨーグルの本があった。

「お父さん、〇〇(ヨーグルのこと)の小説、読んでるんだね」
「うん。でもまぁ、いまいちかな」

ヨーグルには話していない。
話していい?って、父にきけばよかったな。

お父さん。今ね、私はあなたが「いまいち」と言った人とあなたの話をしてる。
その人、あなたの話をもっとききたいって。
私のお父さんだから。

私、それが嬉しいの。

どうしてこんなに嬉しいのか、よくわからないんだけどね。
でもすごく嬉しい。