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呪いの言葉と遺伝子(2)

初めて「親ガチャ」という言葉を耳にしたとき、なぜか大学入試の記憶がよみがえった。試験会場まで車で送ってくれた父が、試験が終わった私に「腹、へっただろ。なんか食おう」と言って学食へ連れて行ったときのことだ。

父が財布を確認し「悪いけど、今、800円しかないねん」と言う。
父に悲壮な表情はなくテヘッと笑ってる。
この人っていつもこうだな、と思う。
毎晩、お酒を呑んで帰ってきた。
タクシーで帰って来ると、寝ている私と母を起こして「タクシー代、払っといて~」とテヘッと笑うのだ。
母に一万円札を渡されるたびに、うちは金持ちなのか貧乏なのかわからなくなった。

二人でラーメンを頼んだ。
驚くほど安かった。800円でしっかりお釣りがくるぐらい。父は一品、小鉢も付け足した。
ラーメンを食べながら、父が「これも食え」と私にその小鉢を差し出した。

父のことがわからなくなる。
弟と私を比較して「お前は馬鹿でダメな人間」とか「東大と京大以外は大学じゃない」とののしるくせに、私の大学合格を誰よりも喜んだ。
「凜は賢い」と言い、私が中学生のとき、親戚の集まりで私の成績表を突然見せびらかして自慢するという愚行に私は血の気がひいた。
「俺には何にもなかった。でも子供だけには恵まれた」と言い、私が銀行に就職が決まったときも「凜は俺の誇り」と握手を求め喜んだ。
気分屋で不安定で(そしてこれを言えば母に怒られるから口にしないけれど)孤独で可哀そうな人だった。

「親ガチャ」という言葉を耳にしたとき「知りたくなかった」と思う気持ちと「そんなの、とうの昔から知ってた」という気持ちがないまぜになった。

言葉というものは不思議だ。
今まで私のなかでくすぶっていたものが「親ガチャ」という言葉を与えられてしっかりと輪郭をもってしまった。
言葉が与えられるまでは、煙みたいにいつのまにか消えてくれていたのに。

何故、あのとき父と一緒にラーメンを食べたこと、父が小鉢を差し出したことが思い出されたのか。
あれは防衛本能なんだと思う。
父との良き思い出を引っ張り出して、私は「親ガチャ」を否定したかったのだろう。
私の親はアタリかハズレか、そんなのわからんけど、私の親はあの二人しか考えられん。「親ガチャ」なんて知らない。そんなの努力してこなかった人間の言い訳。そんな怒りをもちながら。

でも、と思う。でも、その一方で私は昔から怒ってた。

超のつく就職氷河期だったため、私の周囲は親のコネで就職する子が何人もいた。「親のコネで」と口にすることに何のためらいもなく、むしろ「どんな親のもとに生まれたかも、その人の実力」といわんばかりの友人たちに、仕事が続かない父のことは話せなかった。

医者と付き合っているとき、彼の家族に驚いた。
子育てが落ち着いたからと大学生になっていたお母さん。子供三人を私立の中高、大学へと進学させ、最後は妻をも大学進学させた医者のお父さん。
彼は医大だが、彼のお母さんや弟、妹の通う大学は(大変、失礼な話で申し訳ないが)そんな大学(少なくとも私は)知らなかった、のレベルだ。
当時の父は無職で、京大に通う弟の学費も私が払わなければならないほど我が家は困窮していた。
どうして、彼らの父親が医者で、私と弟の父親が無職なんだろう。たまたまそうだったとしかいえないことなのに、私は悔しかった。

そんな私が、夫と出会えたことは幸運だったのかもしれない。
夫はそれまで付き合ってきた男性とは比較にならないほど貧乏で、誰よりも賢かった。

勉強机を買ってもらったことがなく(買うお金がないのではなく、置く場所がないほど家が狭い)習い事をしたこともなく、塾や予備校に通ったこともなく、地方の公立学校に通っていた夫は、大学も京大しか受験しなかった。私立の学校は合格しても通うお金がないからと受験さえしなかった。

こんな人が京大にいたんだ、と驚いた。

昔、夫にとても失礼なことを言ってしまったことがある。

「もしあなたが元彼たちのようなお家で育ってたら、東大京大なんかじゃなくて、海外の名門大学にいってたかもしれないのに」

夫は、義両親を暗に侮辱する私の言葉に怒るどころか「どこの家に生まれても、僕は京大に行ってたよ。僕は京大に行きたかったから」と笑い飛ばした。

夫は強い人だ。
だから私も強い人にならないといけないんだけど、ときどき、父のことで泣いてしまう。
世の中は不公平だと喚き、あんな男を父親にするぐらいなら生まれたくなかったと駄々をこね、あなたはもっとちゃんとした親がいるちゃんとした家庭で育った女性と結婚するべきだった、とつまらないことをほざく。

そんな私に、先日、夫がとうとう怒った。

父の遺伝子は本来は淘汰されるべきものであり、その遺伝子を受け継いだ私は必要のない人間なんじゃないか、と言ったときだ。

「馬鹿なこと言うな」と、夫が声を荒げた。
夫の大きな声という、あまりにも珍しい事態に涙は引っ込んだ。