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普通の男の子でいてくれてありがとう

初めて付き合った彼を思い出すと、私の頭の中に「ひらがな表」が浮かぶ。

小学校の卒業アルバムに収められていた生徒たちの作文で、お題は確か「宝物」だったか「大切なもの」だったか。
みんな友達のことや、学校行事の思い出などを書いているのに、彼はひらがな表を書いていた。

あいうえお
  かきくけこ
    さしすせそ……

最後は「わ を ん」で終わっている。

意味がわからなかった。
彼にきいたら「僕の宝物は言葉ってこと」と言われた。
面白い人だなと思った。

私は自分の両親をみて、幼いころから「一人で生きて行く」と決めていた。
嫌なことがあったらすぐに仕事を辞め、お酒ばかり呑んでる父を支えて働きまくり、家事育児を一人で担ってる母をみて「一人で生きるほうが楽」と思ったからだ。
男の人に搾取される人生なんて送りたくないと、なぜか「世の男性=父」にしている自分の視野の狭さに驚く。

だから、誰かに「付き合ってほしい」と言われても断った。
誰とも付き合うつもりはなかった。

でも彼だけは「彼女になってほしい」と言われたとき断れなかった。
彼が京都大学の学生だったからだ。

お金もないのに、弟を私立の名門校に入れ京大に行かせようと必死だった父。
熱狂的な京大信奉者だった父は、京大に行けない私を「ダメな人間」と言い続けた。

大学に合格したとき、友達に「私の通う女子大は結婚するなら京大って言われてる。凜ちゃんの通う大学の男なんかとは付き合わないから」と言われた。

今なら「気にすることないよ。好きに言わせてあげなよ」と過去の私に言うのだが、当時の私はそれらの言葉にいちいち傷ついていた。
彼らに何か言われるたびに「私はダメな人間なんだ」と落ち込み「京大ってすごいところなんだな」と別世界のように感じていた。私には縁のない世界だ、とも。
よく考えたら、父と友人にも縁のない世界なんだけどね。当時の自分も父も友人も謎すぎ。

だから、目の前の男の子が気になって仕方なかったのだ。
父や友人をあれほど夢中にさせる京大生ってどんな人なんだろう。

付き合ってびっくりした。

彼が、そこらへんのどこにでもいる普通の男の子だったからだ。
拍子抜けするほど、彼は私と同じような人だった。

一緒にご飯を食べて、映画を観て、買い物して、カラオケ行って。私たちは普通の恋人同士だった。

でも、あの作文を思い出すと、彼は普通ではなかったのかもしれないと思う時がある。
英語が得意で、TOEICの点数は900点を超えていた。その英語力をいかして彼は海外で働き始めた。

彼はよく電話をくれた。
最初の一声はいつも「何してた?」だった。私はいつも「勉強してた」と答えていた。実際、私はいつも勉強していた。

「凜は本当によく勉強するね」

父や友人が私を馬鹿にするのに、彼はいつも私に感心していた。

別れて数年後、彼から一度だけ連絡がきたことがある。私が大学で勉強していたことが仕事で必要になったから教えてほしいとのことだった。

「自分で調べたり専門家を頼ってもいいんだけど。ほら、凜はすごくよく勉強してたから」

この人は別れてこんなに時間が経った今も、私が何を勉強していたか覚えているんだと驚いた。
それは本当に嬉しいことだった。

私の周囲にいる男性は、もしかしてすごいのかもしれない。
上記の彼もそうだし、学生バイトから正社員になり支社から東京の本社本部へとトントン拍子に出世した元彼や、法科大学院に通わず予備試験を経て弁護士になった先生は、すごく賢い人なのかもしれない。
小説家として活躍しているヨーグルや、20代で会社を興しリーマンショックもコロナ禍も超えて会社を成長させたキョウは才能のある人なのかもしれない。
膨大な仕事量をこなし、私の十年分の年収を一年で稼いでしまう夫はもしかして特別な人なのかもしれない。

でも、やっぱり彼らは私にとって普通の男の人なのだ。
もしかして、彼らが私に合わせて普通を装ってる可能性もあるけれど、それでもいい。

少なくとも私は「彼らは普通の人」と思えることで、ものすごく救われた。

もし、彼らを「この人は私とは違う」なんて思ったりしたら、私は父や友人の言葉に囚われ傷ついたままだっただろうから。

「〇〇女子大の子は、結婚するなら京大って言われてるらしいね」
「そうなの?そんなの初めてきいたな」

彼が不思議そうな顔をしたとき、私は自分が傷つく必要なんて全くなかったのだと気がついた。

キョウにもきいてみたことがある。
キョウは「その子は間違ってる」と否定した。

「そうね。やっぱり京大の男の子は京大の女の子と付き合う確率が高いわよね」
「それも間違ってるな。一番多いのは『誰とも付き合わない』だと思う」

キョウは、いつも私を笑わせてくれる。

彼らは、すごい人なのかもしれない。

でも、私にとって彼らはどこにでもいる面白くて優しくて最高に楽しい、やっぱり普通の人たちなのだ。