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僕はあなたの味方でいられなくなる

ときどき、自分でも驚くような暴言や極論が出てくることがある。

おそらく私の幼少期の環境からくるものだろう。
何度も書いたが、父は仕事は続かない上に散財癖のある人で、母はとても苦労していた。

家計のために働き続け、家事育児を一人で担い、休むことなく動き回る母を見て、私は早いうちから「一人で生きていこう」と決めていた。
母みたいになりたくなかった。
そして「自分は他の子より少し努力しなければいけない環境にいる」ことも理解していた。

「一人で生きていく」という考えは私の強さに繋がった気もするし、「他の人より努力が必要」と気づかせてくれたことも、受験戦争や就職氷河期を乗り越えさせた鍵だと思ってる。
奨学金で進学した私は就職しないと借金が返せない。必死だった。
倒産すれば日本が沈むぐらいの大企業にいきたかった。私にとって就職は、貧しく不安定な生活を抜け出すチャンスだったからだ。

そう考えると、子供のころの環境がプラスに働いたことも多い。
でも、それは私の努力に運が味方してくれたからだ。

愚かにも、私はときどきその運を忘れて自分の努力だけでここまできたと勘違いしてしまう。
だから他人に対して「努力不足」という言葉を平気で使ってしまう。

夫は私のその点が残念なようだ。
「凛子さんのような人だからこそ、理解できることや改善しなければならないことが他の人より見えるはずなのに」と言う。

さて、先日、久々に私の暴言が炸裂した。
詳しくは書かないが、社会的弱者といわれる人たちに寄り添う気持ちがもてなかったのだ。

私がそんな暴言を吐くときは、夫は私が昔のことを思い出しているのだと理解し私の話を聞こうとする。
でも限界だったんだろう。

「やめてほしい」

その後に続く夫の言葉を、私は一生忘れることはないと思う。

「それ以上、そんなふうに言い続けるなら、僕は凛子さんの味方でいられなくなってしまう」

この人は私の味方でいたいのだ。

夫が会社に行くとき、私たちは「愛してる」と言い合う。
コロナでリモートが続いたときは「じゃあ、寝る前に言うことにしよう」となり、今は朝と夜に言い合うようになった。

でも、夫が私を愛してると感じるのは「愛してる」と言い合ってるときじゃない。

「あなたの味方でいられなくなってしまう」と言ったときの夫の哀しそうな顔だったり、「私のどこが好き?」ときいたとき「笑い声」と言って私の笑い声について嬉しそうに説明しているときだったり、私の読んでる本を「何を読んでるの?」と興味を示したときだったりする。
泣いている私の手をそっと握ってきたときの、彼の手の温かさや力強さだったりする。

総じて「私を知りたい」「私の側にいたい」「私の力になりたい」という夫の意志を感じたときだ。
そして、それは普段と変わらない何気ない毎日の隙間からふっと現れる。

結婚は生活と密着している。

その生活に少し疲れてしまった人の中には、その生活から抜けだすように恋愛を求める人もいる。
恋愛に生活を感じさせない非日常を求める人たちがいる。
それはそれでいいと思う。
例えば、その生活から離れたような時間があるから日常に戻れる人もいるだろうし、そういう相手がいるから家族に優しくできるし自分を保てる人もいるんだと思う。
それもまた恋愛だし「愛してる」なんだろう。

それでも、私にとって恋愛は毎日繰り返される当たり前の日常に染み込んでいる生活そのものだと言いたい。

生活にはいろんな問題が出てくる。
高齢の親のこと、お金のこと、住まいのこと、子供のこと、この先はお互いの介護もあるだろう。

でもその大変なことに、私は一人で立ち向かわない。
私の側には、いつも夫がいる。
夫は私の味方だ。

夫は素直で、頭もいいし、思いやりも深く優しい。
でも、例えば仕事に対してはあれだけ動けるのに、家のことになると「電源切れた?」と思うぐらい動かなくなる。
極度の面倒くさがりで、風邪をひいたときなど私が薬を用意しないと飲まない。「子供じゃあるまいし」とほっておいたら、薬を飲まない夫がやっぱり気になって「ちゃんと飲まなきゃダメよ」と、結局、私は水と薬を用意してしまう。

私と夫が夫婦ではなく不倫関係だったら、私はそんな夫の一面を知らなかったはずだ。
頭がよくて学歴が高くて、仕事ができて高年収で優しくて、神経質そうな私好みの顔も合わせて、さぞ現実とは思えない時間を夫と過ごしていたことだろう。

それはそれで楽しかったかもしれない。
事実、付き合ってるときはそんな一面しか知らなかった。

でも私は知りたかったのだ。
この人の日常を。この人の何でもない毎日を。良いところも悪いところも。
この人を知りたい――それが私の恋愛なのだ。

今、私は夫のいろんなことを知っている。
「この人、天才じゃないかしら」と感心することもあれば「この人、なんでこんな頭いいのに、こんなことができないの!?」と驚かされることもあるし、実は「私のほうが頭よくね?」と思ったりもする。
ときどき「大きな息子」と思ってる。

夫は私のことを「この人、なんでこんな頭いいのにこんなことも知らないの?」と驚くことがあるらしいし、私の天然っぷりにびっくりもするらしい。
私をときどき「大きな娘」と思ってるようだ。

そして私たちは共通して「あなたの味方でいたい」と思ってる。
それって、最強の「愛してる」なんじゃないかな、と思う。