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最初で最後の占い

一度だけ占いに行ったことがある。

結婚前、勤めていたときのこと。
元彼と碁の先生とのごたごたで二人と別れ、その数か月後に付き合った勤務医とも別れ、その後に付き合った開業医の男性と結婚の話を白紙に戻し別れ「疲れた。もう一人でいたい」と思っていたときのことだ。

一人でいるほうが私はいいのではないか。そんな話を先輩にしたら、突然「占いに行かない?めっちゃ当たるって評判の占い師、知ってんねん」と誘われた。

いつもの私なら「興味ないです」とお断りするのだが、このときは「一度やってみようかな」という気になった。

先輩に連れられて伺った占い師のおじいさん。かなりのご年配。
真っ白なお髭に眼鏡。まさに私がイメージしている占い師そのもの。要は、なんか怪しかった(失礼)

「四柱推命」で占うので名前と誕生日を教えてくれ、と言われた。

もう一度書くが、私は占いに興味がない。
よく「いいことだけ覚えてます」という人がいるけど、私はいいことも悪いことも覚えていない。
情報番組の占いも、雑誌の最終ページに掲載されてる占いも、私の頭には入らない。よしんば入ってきたとしても、すぐに別の情報に上書きされる。興味がなさすぎて残らないのだ。

でも、おじいさんとのやり取りは今も記憶に残っている。
当たりまくったからだ。
でもそれは占いによるものじゃない。会話によっておじいさんが私から引き出した情報によるものだと思ってる。
だから占いというより、おじいさんの話を聞く力、彼の情報収集力や推理力、判断力といった面に感心した。
つまり、おじいさんはすこぶる頭のいい方なのだ。
おそらく私の言葉だけでなく、私のちょっとした仕草や目の動きからも情報を集めていたのだろう。
占い師というより、名探偵ホームズに近い。

さて、そのおじいさん「あなた、コウエンがあるね」と言い、紙に「紅艶」と書いて私に見せた。

「この星がある人は、本人の意図とは関係なく異性にもてるんだよ。私たちの間では、お色気星なんて言われてるけどね。あなたもてるでしょ?」

ここで「はい」なんて言う人いはるんやろか?と思いつつ、恋愛のことでまいっていたのは確かなのでドキリとした。

「それは悪い星ですか?」
「悪くないよ。ただ本人は無意識だし悪気もないのに、相手が勝手に言い寄ってくるからトラブルになりやすいし周囲から誤解も受けやすいんだよね」

それ、すごく悪くないですか?

ツッコミを入れそうになったが、おじいさんの続く言葉に私は感銘を受けた。

「でもいいんじゃないかな。あなたは一人でいるのは向いてない。一人で頑張るより誰かと一緒にいたほうが良い結果が出るタイプだ。それなら、自分を伸ばしてくれる人に出会うチャンスに恵まれていると思えばいいんじゃないの?」

やんわりと「私は一人で生きて行くつもりなんですけど?」と否定の意味をこめて答えたら、おじいさんは「でも近々、出会うだろうね。その人はあなたを伸ばしてくれる人だ。一緒にいたらいいよ」と笑い飛ばした。

二か月後、私は夫と出会った。

私は、それまで一人でいることは強くて良いことだと思っていた。
逆に言えば、恋愛してないと自分を保てないなんて弱くて悪いことだと考えていた。
恋愛でトラブル続きの私を「恋愛依存症」と揶揄する人がいたが、私自身、依存症とまではいかなくても、恋愛に夢中になる自分がどこか情けなくもあった。
だから、おじいさんの言葉は自分を強く肯定されたようで嬉しかったのだ。

一人で過ごすことも、男性と一緒に過ごすことも、強い弱い、もしくは良い悪いとかじゃない。

私はご飯は好きな人と一緒に食べたいし「これ美味しいね」と言い合いたい。
一人で映画を観るよりも、好きな人と一緒に観て、映画のあとお茶をしながら「あのシーンよかったね」と語り合いたい。
私は楽しみを共有したい。

それは正しいことでも間違ったことでもなく、単に私にはそれが合っているというだけに過ぎない。
私はこれでいい。

もう一つ忘れられないことがある。
「紅艶」の横に「文昌貴人」という言葉を書き「あなたは文章を書くといい」と言われたことだ。
本を読むのは好きだけど、文章なんてめったに書くことがない私は「どっからそんな情報?」と首を傾げた。
思わず「仕事は金融関係なんですけど?」と話してしまった。文章とは縁のない人生を送ってきただけに、あまりにも唐突で驚いたのだ。
これに関しては、今でもおじいさんが私のどこからそんな情報を読み取ったのかわからない。

でも、その後、私はヨーグルと出会って文章を書く楽しさを知ることになる。

思い出すたびに、ほとんど予言に近い占いだったけれど楽しかったな。
そして、あのおじいさんの言葉は、ともすれば目の前を通り過ぎてしまったであろう出会いや機会を私に掴ませる鍵になったような気がする。

恐るべし占い師でした。